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第52話
あの夜から沖は、一の部屋には戻らずに仕事の時以外はずっと俺の部屋に居続けていた。
どうしてだと聞いた俺に沖は心配だからですよと言って微笑むと、今夜も俺を抱く為にその服を脱ぎつつ、ベッドに近付いて来る。
「考えてみたら、いつ全様に出産の兆候があらわれるかわからないですからね。それとも全様は私がいる事が、わたしに毎晩こうやって抱かれることがイヤですか?」
沖の言葉にぶんぶんと頭を振る。
「イヤなんて言ってない!…嬉しいよ…一緒にずっといられて、愛してもらえて…だって俺、今まで昼も夜もずっと一人だったから…」
呟くように話す俺に沖がふふっと笑って、ベッドに上がると横になり抱きしめてくれた。
「私がここにいます。あなたの隣に…もし本当に私でいいなら、ずっといて差し上げますよ?」
「私でって、でってなんだよ…お前は俺の番だろう?だったら…で、なんて言うなよ。俺は一との番を解消させてくれたお前に感謝しているんだ…それに俺は所詮Ω。Ωはαの庇護なしでは生きてはいけないって言われたけれど…あぁ、その通りだ。一の庇護下では当たり前すぎて思いもしなかったけれど、俺を嫌になったらαはいくらでもΩを変えられる…所詮はその程度の人生なんだよな…Ωって言うのは。だから、お前が俺を番にしてくれて、こうやって大事にしてくれているの本当に感謝しているんだ。だからそう言う、自分を卑下するようなこと言うなよ…な?」
キョトンとしている沖の俺を見る視線が恥ずかしくて、顔を逸らすとすぐに沖の手が俺の顔を自分の方に向けた。
「すみません、全様。しかしそれならば全様は私にとっても特別な人。全様こそ所詮Ωなどとご自分をそのように言うのはおやめ下さい。」
「でも、俺は何もできないΩだ…お前や…い…一の…ように、この家の為に何かをしているわけじゃない…」
沖の手が俺の頭を優しく撫で、その手がゆっくりと下りて腹をさする。
「Ωの全様にしかできないことがあるでしょ?…このお腹の中で子を育て、産むこと…ね?全様は私達αの子を産む器官を持った大事なΩなんですよ?ここでこうして私の腕の中で、あなたと子供と一緒に眠りにつく日を、私は心待ちにしていますよ…」
そうして沖はあの夜とは別人のように俺を優しく労るように愛し、抱きしめたままで眠りにつく。そうやって何日も過ごしていると、今までずっと沖と一緒にいた一のことが気になり出してきた。
俺はあの家にいた頃から長い時間を一人で過ごしてきた。だからそれなりに時間をやり過ごす方法も見つけたし、寂しさに心が泣きそうになるのを我慢する方法も知っている。しかし、一は突如なったΩの心と身体で、寂しさと永遠のように思える時間の中、たった一人の部屋でどうやって過ごしているのだろうか?
あんなに嫌なこと、辛いこと、苦しいことばかりされた一だが、俺にとっては今では唯一の家族。ずっと一緒の時間を過ごしてきた双子…その絆の深さによる感情の共有。そう、今こうやって沖と一緒にいても埋まらない心の穴…これは一の寂しさなんじゃないだろうか?
その苦しさに、沖にとうとう一の事を尋ねてみた。
「なぁ…あのさ…あの…」
「どうかされましたか?」
どうにも口がうまく動かない…一のこととなると、その名前を呼ぶのにも俺の中では相当な葛藤が未だにある。重く閉じようとする口を無理矢理こじ開けるようにして、俺はようやく一の名前を声に出した。
「一っ…の事…どうして…いるのかな…って思って…」
あぁと沖が笑って俺を抱き寄せる。
「心配…ですか?あんな事をされた相手なのに。お優しいのですね、全様は…でも…」
その優しい腕とは裏腹に、声に冷たさが混じる。
あ、マズい…
俺の心臓がドクンと跳ねて、沖の顔をそっと見る。
その目はすでに妖しく光り、俺をじっと見つめる。まるで獲物を捕らえるかのように口が開いて、うなじに歯が食い込んだ。
「くぅっ!」
「あなたは誰のモノですか?あなたの番であるαは誰ですか?まだそうやって私以外に心を奪われているのですか?」
いつもよりも深く歯が食い込み、それとわかる温かい筋が首から流れていく。
「違う!沖、違うんだ!俺はただ、俺の心に空いた穴が埋まらなくて…お前といるのに寂しくて辛くて…だからこれは俺の感情じゃないんじゃないかって…あぁっ!」
「あぁ、双子特有の感情共有みたいなモノですか?」
沖の歯が首から離れ、俺はほっとしてそうだと頷いた。
「そうですか…あなたは私を嫉妬で狂わせたいと…双子の絆の深さを私にわざわざ仰って、そうして私ではあなたの心を埋めることはできないと、一様でないと心が満足しないとそう言うことでしょうか?」
沖が獲物を狩る獣ののような目で見つめ、その口からは牙のような歯がぎらりと光った。
「違う!俺はただ、この心に空いた穴が気になって…だから少しくらいは一の側に行っても…ぁああああっ!」
くあっと開いた口が再び俺のうなじの皮膚を食い破り、解されてもいない俺の中に沖が一気に自身を捻じ込んで奥まで突き動かす。
「いっ…ぁああああああああっ!」
悲鳴と絶叫に喉は枯れ、それでも許されずに何時間も沖は腰を動かし続け、俺は何度も果てながら、その事でもっと大きく開いた一の心の穴によって、悲しみと寂しさを感じていた。
涙も涎も出なくなった頃、沖はようやく許すかのように優しく俺を抱きしめた。
「こうやって抱けば抱くほど私のΩはあなただけだと心と身体が私に叫ぶ。…そう、一様は所詮はαからのΩ、あなたには敵わない。私はずっとあなたから逃げていたのです。あなたにはまらないようにと…しかしそれももう無駄だとわかりました。やはりあなたこそが私の番、私の唯一のΩ。一様には申し訳ないのですが、もうあなた以外欲しくない…お慕いしています、全様。ですからどうかもう、一様の事はお聞きにならないで下さい。私にとって一様は今でもあなたの番…しかも、私には切ることのできない双子と言う強い絆をお持ちです。もう、一様の名前すらあなたの口から聞きたくない。お願いします、全様…あなたを私の嫉妬で抱き壊させないで下さい…どうか、全様!」
そう言って沖は唇を合わせて俺を強く抱きしめ、俺はそれに応えるように分かったと頷いた。安心したかのように沖は俺の隣でその目を瞑り、静かな寝息が俺の耳をくすぐる。しかし、沖のどんな言葉でも俺の心に幸福は訪れない。
俺の幸福…
囁くように一に語りかけた。
「なぁ、一。沖は俺を選んだ。お前は沖にΩにまでされたというのに、結局はαはαでΩとは違うんだってさ。沖はαだったお前じゃなく、純粋なΩである俺だけが必要なんだってさ…なぁ、一?お前、今どんな気持ちだ?」
じっと胸を見ると一の心の穴が崩れていくのが分かった。一が不幸のどん底に落ちていく。助けを求めるように伸ばされた手。俺はその手を振り払い、足蹴にする。そうして真っ暗な底に落ちていく一を見ながら俺は、その不幸を幸福に変えていた。
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