53 / 106
第53話
一の心が壊れたのを感じてから、俺の心は平穏と愛と幸福だけで満たされ、いつでも側にいて俺を抱きしめてくれる沖と、番として穏やかな時間を過ごしていた。
ただ、そんな風になっても沖はやはり俺の拘束を解いてはくれず、しばらくすると俺の心の中に沖は本当に俺を愛しているのだろうかという疑いが芽生え、また妊娠の体の状態も手伝ってか段々とイライラが募っていった。
「やっぱり、俺の事を信じていないんだろう?」
「また、その話ですか?ですから、こうやって口の拘束は解いて差し上げたじゃないですか?」
沖の俺の上を這う手が止まる。
俺はどうしても沖の俺への気持ちを確かめたくて、様々なわがままを言っては沖の心を試すようになっていた。
それは沖も分かっているようで、最初の内は「全様のわがままなら可愛いもの…どうぞ存分に言ってください。」なんて言いながら笑っていたが、それも回数が増えて中身も段々と沖の気に触るような事ばかりになっていくと、その笑いがなくなり、目から優しさが消え、ついにため息をつくようになった。
「はぁ…全様には先日も言いましたが、これはあなた様とお腹のお子様達を守るため。いくら私と番となっても、あなたのこのお腹の子は…私との子ではありません。その事でご自身を責められたり、様々なことを思い出して産むのがイヤだとなった時に、この拘束があなたとお子様達の命を守ります。ですから、どうかそのような我儘で私を困らせないで下さい…」
そう言うと、再びはぁと大きなため息をついて、俺の上から退いた。
「何だよ、今夜もしないのか?」
ここ数日のこんなやり取りのせいなのか、沖が珍しく何日も俺を抱かずにいた。
「えぇ、そろそろ出産間近のようですから…それに…いえ、何でもありません。今夜はやり残した仕事がありますので、これで。お休みなさい、全様…あぁ、私のいない間に何かあっては困りますので、こちらも付けていきますね。」
沖の手にした口への拘束具を見て俺が体をばたつかせて嫌がるが、また、わがままですか?と相手にもせず、感情のない目は俺を見る事なく淡々と拘束具を付け、それを取れないように少しきつめに手の鎖を調節すると、唸る俺に背中を向けてさっさと部屋から出て行った。
また、やってしまった。
扉が閉まり、一人だけの部屋でじっと沖の出て行った扉を見つめていると、涙が頬を伝っていく。
分かっている。これは全て俺のせい…分かっている。
それでも言わずにはいられない。確かめずにはいられない。
沖は本当に俺を選んだのだろうか?と。
あの時まで感じていた寂しさも辛さも今は全く感じない。
一の心が壊れて、感情が無くなったからだと思うこともできるが、もしかしたら二人して俺を騙している可能性もある。
「どんだけ疑り深いんだよ…俺…」
沖と同じようなため息が口から出る。
分かっていても、今まで騙されたり、自分の思い通りにいかない日々を過ごしてきた俺は、平穏や安定をそのまま受け入れることができない体質になってしまったようだった。
何かいつも不安で、俺の心を騒がせ続ける何かを見極めたくて、そうしていつも沖を怒らせてしまう。
あんなに愛してるって言ってくれていたのに、もう何日も俺は沖からその言葉を聞いていない。
何で俺はこうなんだろう?一といた時にはむしろ毎日が不安定でざわつく心を穏やかにしてくれる沢の存在を待ち望んでいた。
それなのに、沖という俺を番にしてくれたαを試すような事ばかりして、怒らせて、いつ俺は沖に番を解消されても仕方のない状況だよな…それでも、俺は俺のこの心の不安を取り除きたくて、沖を見るとやっぱりわがままを言って沖を試してしまう…こんな事、一の時にはなかった。だって俺がどんなに嫌がっても抵抗しても一は俺を抱き続けたから…
なんだ?一との日々が懐かしいのか?
心の奥深くから声が聞こえる。
何を言っているんだ?一との日々なんて地獄でしかなかった。俺はあいつに騙され、犯され、愛する人から引き離され、そして家族を殺された。
そんなあいつとの日々が懐かしい?
バカバカしい事を言うな!
だったら何で沖を怒らせる?今の生活を守りたいのなら、沖を怒らせるのは得策ではないだろう?
分かっている…だけど止められない。俺は沖の心を見極めたいんだ。どんなに一よりも俺の方がいいと言っていても、俺は番として二人が一緒にいるところを見ていない。どんな風に愛し愛されているのか、沖の最初の目当ては一だったんだ…沖はわざわざ時間をかけて一をΩにするほどに一を愛していた。
でも、俺は違う。
俺は一がΩになった事で自然に番が解消され、それによってダダ漏れになったΩ特有の匂いに抗えなくて沖が番にしてくれた。
だから選ばれたわけでも、愛されていたわけでもない…このΩの匂いにαを惑わす力がなかったら、沖は俺を番にしただろうか?
イヤな考えがまた夜の闇の中から手を伸ばして、俺を引き摺り込んでいく。
負の感情は俺を捉えて離さず、やっぱり俺は沖を怒らせてしまうんだろうなと、薄れていく意識の中でごめんなと沖に謝りながらドロドロとした闇が手を伸ばす中に落ちていった。
ともだちにシェアしよう!