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第65話
「…んさま、全様!」
「ん…?」
体を揺さぶられ、俺を起こす声にしばらくぼーっとしていた頭が、一気に覚醒する。
「沖!一は?なぁ、一はどうした?」
俺の拘束具を取り外しながら、沖が頭を振った。
「あれはダメですね…もう、長くて数ヶ月…でしょうね。」
「な…にを、言って…」
「あぁ、外れましたよ…まったく、彼の方の命でなければこんな事しやしないのに…え?こちらの話です…さて、支度をして下さい。」
全ての拘束と点滴を外した沖が、俺の背に手を当てて上半身を起こさせた。
久しぶりに身体を起こした為か、ふらっと頭が揺れて気分が悪い。
「ちょっと、待って…」
再び横になろうとする俺の腕を掴むと、グイッと引っ張り起こす。
「沖…?」
「すみませんが、寝るのは支度をしてからにしてくれますか?」
「支度?」
俺の問いには答える事なく、沖が俺に服を投げ寄越した。
「まさか服の着方を忘れてはいませんよね?だったらさっさとそれに着替えて下さい。待たれているので、急いで下さいね。」
こくんと頷く俺を急かしながら俺の身の回りのものを鞄に詰め終わると、手間取っている俺を見てため息をついた。
「まったく、とうとう服すらもまともに着られなくなったんですか?しばらくは服を着る生活をするんですから、きちんとして下さい。」
まったく状況が理解できずにいる俺の服の着替えを手伝うと、沖が扉に向かって入れと声をかけた。
「失礼します。」
例の覆面の男が車椅子を押して部屋に入ってくると、沖が頷いた。
それが指示のように男は俺に近付き、逃げる間もなく抱き上げられて車椅子に座らせられた。
状況がわからない不安から車椅子から立ち上がろうとするのを、男に後ろから肩に手をかけられて無理やり座らせられた。
そのまま押されて扉に向かって行く。
「どこへ行くの?なぁ、俺はどうなるの?」
沖に聞いても何も答えず、俺達の前をさっさと歩き出して扉を開ける。そこには数人の覆面の男達が立っていて、沖が顔を部屋の方に向けた途端にさっと俺達の横を風のように通り過ぎて、沖が支度をしていたカバンなどを手に取ると、再び風のようにさっと廊下を走り去って行った。
「なぁ、沖!一はどうなっているんだ?俺はこれからどうなるんだ?なぁ、何か言ってくれよ!」
声を荒げる俺にため息をついた沖が、廊下を歩みを止めずに話し出した。
「一様は私も診ましたが、すでに半分死んでいるような状態です。意識もなく、息を吸うのも自力では困難…あれではもう治られる見込みはないでしょうね…と言う事で、あなたとその最期の時を過ごさせてやりたいと言う彼の方の望みというか命令でなければこんな面倒臭い事…まぁ、それだけの対価はいただきましたし、一様のことも色々としていただけるようですので、今回だけは特別にあなたを貸し出すことにいたしました。手も出されないというお約束もされましたしね。これでも私はあなたをそれなりには大事に思っているようですし。と言うことで、あなたはしばらくは一様とご家族の時間を過ごすということです。そう、最後の家族の時間をね…」
くくっと笑って私にはその時間すらもありませんでしたがと、悲しげに呟いた。
その言葉は聞こえないふりをして俯いたまま、俺は沖の言葉から分かることを考えていた。
一はまだ死んではいない…
俺の中の一の存在もまだ消えてはいない。
一の存在を身の内で確かめ、それがまだこの世界にいると言う事実は俺の心を強くした。
だが、状況はそう楽観できるモノではないのも事実。
意識もなく、自力での呼吸も困難と聞かされれば、医療の心得のない俺でもそれが危機的状況だとイヤでも理解できる。
そして、あの卿と呼ばれていた男が俺を一と会わせてくれるらしい。かなりな金銭と引き換えに。そうでもなければ沖が俺を、いや、一の利になることをする訳がない。あの注射が原因なんだろうな…あの時一に打たれた注射。一は意識を失い、連れて行かれた。その後であの騒ぎだ。注射を3本も打つように命じた卿が、一の治療を責任をもって自分でやることにして、その付き添いに俺を指名したと言うところか…それでもこの屋敷から出られる事は有り難い。あの覆面の男はしばらくかかると言っていたが、まさかこんなに早く叶うとは。
ようやく服を着ている自分の姿が目に入った。
久しぶりに人間としての尊厳が守られたような気がする。
そんな嬉しさも束の間、やはり一のことが気になった。
一はどうなっているんだろう?
もう数ヶ月しか持たないと言うようなことを、沖は言っていた。
医者の沖が言うのだからきっとそうなんだろう…
それでも…
それでもまだ一は生きている。俺の中にその存在を感じる。
きっと、きっと大丈夫。
一が俺を置いて行くはずがない…絶対に…一は大丈夫だ…
脳裏に微笑む一の顔が浮かんだ。
今から行くから。
お前の元に今から行くから、待ってろよ、一!
嬉しそうに頷く一が遠去かって消えた。
手を伸ばすもそれには届かず、それでも確かに感じる一の存在が俺の涙を乾かした。
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