そうしてしばらくは何事もなく過ぎていった。毎日の食事も沢と食べるようになってからは楽しみとなり、食欲も日増しに増えていった。 子供の事はまだ誰にも言えず、どうしたらいいのかと言う悩みはあったが、それでも一も安定し、落ち着いた平和な日々を過ごしていた。 　 ある晩、ワインを少し多めに飲みたくて、沢に頼むと、ダメですと強く断られた。 「だって、あんな小さいグラスにほんのちょっぴりじゃ、味もわかんないよ！」 沢に食いつくと、沢の視線が腹を見つめた。 「ゔ…じゃあ、俺はジュースでいいから、沢はワインを一緒に飲んでよ…その香りとジュースの味で我慢するからさ。」 「それは…」 「久しぶりに一緒に飲みたいんだ…いいだろう？」 俺もそこそこ飲める方だが、沢は飲んでも飲んでも全く酔わないタイプで、何回か勝負を挑んだが、全戦全敗。 そういえば、一とはこう言う事もしてこなかったなぁと思いながら、ようやく頷いた沢の飲むワインの香りに酔いながらグラスを空けていく。 「あれ？」 「なん…です…か？」 沢のグラスがなかなか空かなくて、調子でも悪いのかと沢を見ると、真っ赤な顔をして、既に目が重く今にも閉じそう。 「え？！沢、どうしたの？ちょっと、大丈夫？」 「大丈…夫…で…」 そう言ったままこてんと沢がソファに横たわった。 「ちょっ！沢っ！！」 既に寝息を立てている沢を見て驚き、それでも何ともないようでほっとため息をつく。 「ん…」 苦しそうな声に沢を見ると、俺の家では着ていなかったハイカラーが苦しいようで、指で首から離そうとしている。 「苦しいのかな…？」 グラスを置いて沢に近付くと、ハイカラーを緩めた。 すると少し楽になったのか、沢が頭を横に向けた。 これで大丈夫だよなと立ち上がろうとした時、沢のうなじに何か違和感を感じて、再びしゃがんでうなじが見えるように顔を動かす。 しかし、襟の影になってよく見えない。 「もう少し、襟を緩めれば…」 手を伸ばそうとした瞬間、その手をぎゅっと掴まれた。 「何を、している…？」 「沢…」 ぎらっとした目で睨まれ、ぶるっと体が震える。 「沢…？あ、すみません！」 一瞬でいつもの目に戻った沢が、緩んでいる襟に気が付くとさっと元に戻し、テーブルの上を片付けていく。 「今夜はもう…」 「うん…おやすみ…」 失礼しますと部屋から出ていく沢を見送り、一の眠るベッドに近付く。 「一…お前が一だよな？」 そっと頭を横に向けるが、包帯の巻かれているうなじの下は見る事ができない。 この包帯を取れば… 手が伸びたが、もう片方の手がそれを止めた。 「おやすみ…さ…わ…」 確信はない。しかし、俺の口から出た名前に涙がこぼれた。 「ごめん…沢…ごめんな…」 部屋から出るまでベッドを見る事なく、後ろ手に扉を閉めた。そのままずるずると扉にもたれかかったまましゃがみ込み、声を出さずに泣いた。 ひとしきり泣いて部屋に向かって歩く俺を、壁に寄りかかってじっと聞いていたた沢がそっとそこから離れ、俺の背中を見つめていた。