77 / 106
第77話
「遅くなって、申し訳ありませんでした。」
広間に入り、ソファに座ってこちらを微笑みながら見る父に挨拶をする。
「頭痛…よりも他が痛そうだが、大丈夫か?あまり虐めてくれるなよ?この家の後継者、いやもう、主人なのだからな。」
俺が真っ赤に俯く隣で、沢が恭しく頭を下げ、善処しますと答えた。
「俺が主人…って?」
皆が笑い合っている中、ぼそっと呟いた俺の言葉に父がおいおいと大笑いする。
「まったく…おい、番として執事として、全のことを頼むぞ!」
父が沢に向かってため息を吐きながら言う。
「でも…でも、俺αでは…ないし…」
「当たり前だろう!!この家では後継となる子供は全てΩで生まれる。私も先代も皆がそうだった。」
「え?!」
「おいおい、私がこの沢と番となり、お前を産んだんだぞ。お前もそっちの沢と今宵番となり、後継者を産むんだ。そして、今からお前がこの家の主人だ!私は引退して、お前と二人、ゆっくりと過ごそう。な、沢?」
「はい…全様…いえ、当主様。どうか甥の沢をよろしくお願いいたします。」
深々と頭を下げる父の執事に、なんとなく涙が出そうになった。
「しかし、この家には沢と言う有能な執事がいてくれて助かった…そして番としても有能な…だろ?」
記憶の中の厳格な父とは似ても似つかぬほどにこの父はよく笑った。
沢はありがとうございますと頭を下げると、支度がありますのでと俺を促して部屋を出た。
「父さんの執事が俺の…」
「ええ、父と言うべきでしょうか?はい、あのお二人があなたのご両親ですね…」
「お前の叔父?」
「はい。私はあなたの執事となるべく、叔父の兄妹から生まれました。」
「…なるほど。」
「本当に大丈夫ですか?今日は全様が初めてこの家の主人として催す宴、そして私と番となる儀式があるのですよ?もしかして、本当にどこかお悪いのでは?」
心配顔で覗き込んでくる沢の額をペシっと叩くと、大丈夫だよと笑った。
部屋に戻り、仕事があるからと俺に濃厚なキスをして出て行った沢の後ろ姿が消えると同時に、俺の目の前にあの沖の顔をした男が現れた。
「どうですか?甘くて優しくて暖か〜い夢のお味は?」
「あぁ、理想全てを詰め込んだようだ。」
着替えながら男に答える。
「それはそれは…それで、いつまでこちらでお過ごしになられますか?今すぐお帰りに?それとも永遠の時をここでこちらの沢さんと家族ごっこを続けますか?」
「まだ…やることが残っている…それが済んだら目を覚ますよ。」
「猶予は翌朝、太陽がその顔を見せるまで。もし、ほんの少しでも未練を残せば…永遠に沢さんの夢の中に囚われたまま…それを決めるのは貴方次第。それでは私はこれで!」
「一つだけ!俺はあの時、誰を選んだんだ?」
「誰だと思われますか?」
消えかかったまま、男が答える。
「分から…ない。」
すーっと俺の顔を覗き込むように男は半透明の体で俺を床から上半身だけ出して見上げた。
「嘘!あなたはもうわかっているはずだ…あなたが誰の手を取ったのか?他を犠牲にしてでも取ったその手は誰のものだったか…感触も匂いも声も…そして相性も…あなたはその全てで感じ取っているはず…もう、自分の心から逃げるのも偽るのもおやめなさい…っと、喋りすぎてしまったようだ。それでは全様、もうお目にかかることもないでしょう…それでは良い人生を!」
パンっと音が鳴るように男は消えた。
「誰の手…」
ふわっと暖かい手の感触が俺の体を包んでいく。
「分かってるよ…分かっていたんだ…だから、ここにいる。ここでお前と…」
その温もりを逃さないようにぎゅっと拳を握ると、胸に当てた。
「もう、間違わないから…逃げないから…もう…」
ぐっと顔を上げて前を向いて頷くと、再び支度を始めた。
ともだちにシェアしよう!