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第83話

扉の閉まる音がして、男の靴音が廊下を去っていく。 「あの…」 俺の問いかけに卿は驚いたかい?と言ってふふっと笑った。 「えぇ、その…あまりにもあなたとは違いすぎる方ですので。」 「あぁ。でも、あれが私の番だ。Ωとして色々と苦労はあるが、自分の職を持ち、頑張っているよ。」 「そう…なんですか…」 俺が絞り出すような声で言うと、卿は俺の心を見透かすように言った。 「あいつができるから、同じΩだから自分にもできるだろうなんて事は思わない方がいい。人にはその人の状況、状態がある。あいつを見て自分も頑張ろうと思うのは良いことだが、できないからと言って君が彼より劣っていると言うことではない。私達αだって皆が同じことを同じようにできるわけではないだろう?それぞれに与えられた才や知があり、それを見つけ伸ばしていけばいい。ただ愛されると言うのも私は素晴らしい才だと思うよ…君は愛らしく…αを虜にする香りを持っている。これは誰しもが持っているわけではない、君だけのモノだ。」 卿の言葉に俯いていた顔が上がる。 「今回のことは本当に申し訳ない。あいつをきちんと管理しきれなかった私の責任だ…このような時に踏み込むなんて…」 「いいんです。俺、きちんと別れはしてきましたから。あのベッドに横たわっている一が、俺達の起こした全ての出来事をその身に被っていってくれました。だから、俺はあいつに感謝して…それで…愛していたと…伝えて来たんです。」 ポロポロとこぼれ落ちる涙を沢がそっと拭いてくれた。 3人がしばらく黙ったままで時間が過ぎていく。 ふと先ほどの男の話を思い出して卿に話しかけた。 「沖は…沖はどうなるんですか?」 「あぁ、彼には今ある場所で実験に参加してもらっているんだ。因みに売春の噂を流したのは私だ。まさか、自分の主人をああも簡単に売るとは思わなかったんで、このような事態を招いてしまったが。まぁ、実験の方は上手くいっているようだし、後もう少しで全くんも自由の身になれるはずだ。そう言うことで、今日のことは許してもらえるかな?」 「許すも何も、俺には状況があまり理解できていなくて…沖は何の実験に参加しているんですか?」 「ん?それは、成功した時に話してあげよう。そう言う事で、あの家には今は誰もいないんだがどうする?」 どうすると言われても、俺はどうしたらいいのか分からず、隣に立つ沢を仰ぎ見た。 「どうする?」 俺の問いかけに沢は一瞬口を開きかけたが、すぐに閉じると私には分かりかねますと言って口を閉じた。 「今更、帰るって言うのも…」 そう言うと沢も同意するように頷く。 「だったら、私に売ってくれるかい?彼と住む家を…声のあまり漏れない家を探していたんだ。その代わり、この家と君が暮らすのに困らない、いや使いきれないほどの金を…一が稼いだ金も含めて渡そう。ここにいる使用人もしばらくは置いておこう。さて、こんな条件でどうかな?」 「いい…かな?」 つい沢を見てしまう。 「よろしいかと。」 今度は沢もすぐに同意してくれたので、ホッとしながら卿に感謝の言葉を述べた。 「あとは、ゆっくりと体を労わり、元気な子を産みなさい。葬儀は…こちらで執り行う…事件は外には出さないが、何かあった時に警察の不手際を責められると、あいつが困るのでね。そんな心配そうな顔をしなくても、君達にも立ち会ってもらうから大丈夫。さて、沢…送ってもらえるかな?」 立ち上がって身支度を整える卿にはいと答えて沢が扉を開ける。 「夕方にでも彼を迎えに来るよ。準備が整ったら迎えを寄越そう…では。」 伸ばされた手に自分の手を差し出して握手を交わすといきなり引っ張られた。 「え?!」 「君はこのままでいいのかい?」 「…今はまだ、このままでいさせて下さい…」 「私との約束は覚えている…ようだね?」 「はい。」 俺の答えにわかったと答えて、卿は時間は無限ではないよと言い残して沢の開けた扉から出ていった。それに沢がつき従って行く。 扉が閉まって、はぁとため息が出た。 「答えは…決まってる。でもまだ…時間が欲しい…もう少し…もう少しだけこのままで…」 窓に近付くと、丁度沢が卿の車を見送り、こちらに振り返った所だった。 目が合ってにこっと微笑まれ心臓が高鳴る。 それでも心の隅に残っているくすぶりがちらちらと煙を上げていた。 もう少し…もう少しだけ俺に時間をくれ。 家の中に戻る沢を見ながら、呟き続けた。

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