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第93話

次の日、夕は寒の押す車椅子に乗って部屋に入って来た。 「んん?」 寒に口の拘束具を取ってもらっていないのも忘れて必死に大丈夫か?と声を出すが、言葉にはならず。それでも様子で理解した夕が大丈夫ですよと微笑んだ。 「全様のように綺麗に折ることができたらいいのですが、夕はどうしても仕事がしたいと言いますので、一週間くらいで治る程度の痛みしか与えてはおりません。」 寒が不満そうな顔で話しながら俺の口の拘束具を外すと、洗って来ますと言って車椅子をベッド横につけて部屋を出て行った。 「その…大丈夫なのか?」 初めて夕と二人きりになり、少し落ち着かない心を鎮めながら口を開いた。 「ええ。ここに来る前は全様よりも痛いことをされていましたから、これくらいは怪我のうちにも入らないと、こう言うものに乗るような怪我ではないんだと言ったんですけれどね。あれで僕の体のことが心配らしくて、絶対ダメだと言って無理やり乗せられたんです。四肢切断なんて言ってる割には…ねぇ?」 くすくすと笑う夕になんと言っていいかわからずにじっと見つめる。その視線に気が付いた夕が首を傾げてどうされたんですか?と聞いて来た。 「いや、俺はあまり同年代の者たちと話すことをしなかったので、少し戸惑っているんだ。」 「でも、一…じゃなくて、もう一人のご主人様とは双子なんですよね?だったら…」 いいやと首を振る。 「俺達はもう何年もずっと喋ってはいなかった。それどころか俺はあいつの存在を無視し、家の者達もそう扱っていた…んだ…そうか、俺の前はあいつがそうだったのか…」 突如、Ωと分かった瞬間からの俺の境遇が実はずっと一の境遇だったのだと気が付いた。一はαでありながら誰からも必要とされず、その心を理解してくれる者もなくただ一人、幼い頃からずっと他人に心を許さず、壁を作ってその寂しさや悲しみの中で過ごしていたんだ。俺がそうであったように…いや、俺は違う。俺には一がいた。そして沢もいてくれた。俺を必要とし、それぞれの愛で俺を包んでくれていた。 「だから…」 一の怒りや恨みが、俺への欲望が一瞬で理解できたような気がした。母親のお腹の中で奇跡が重なってずっと一緒に過ごし続けた俺と一。その心を感じることが出来る唯一の存在。それなのに俺は一を無視し、その心に触れようともしなかった。それなのに俺は…俺をΩだと父さんにバラした一を恨み、今もあいつをずっと一人きりのままでいさせている。あの幼い頃のまま。一はまだ高く作った壁の内で悲しみと寂しさ、そして恨みや憎しみを抱き締めたままで引きこもっているんだ。 「俺は…俺は…どうしたらいいんだ…?」 涙が頬を伝い、俺は夕がいるのも忘れて泣き続けた。 「全様、どうされたんですか?!全様!」 「おい!何をやっている?」 その時、俺の耳に懐かしく愛しい声が聞こえて来た。 扉に顔を向けると、そこには思いもかけない顔があった。 「な…んで?何でその顔?」 そこにあったのは沢の顔ではなく、一のあのままの顔だった。 はっとしたように一が自分の顔を隠すように下を向く。 「悪い。見たくないものを見せた。お前の前に現れるつもりはなかったんだ…ただ、お前の嗚咽が聞こえて来たから。だが、何ともなければいいんだ…すまない。」 そう言って踵を返して廊下に向かった背中に我慢できずに大声を出した。 「待てよ!待てってば!」 止まった靴音。しかしその姿はまだ扉に半分隠れたまま。 「なぁ、もう一回見せてくれないか?お前の顔。夕、悪いんだけどしばらく…」 夕は分かったと言うように頷くと自分で車椅子を動かして扉に向かっていく。 「あぁ、ちょうど良かったようですね。今日はこれで仕事は終わりでよろしいですか?一様。」 廊下から寒の声が聞こえて来た。 「いや…俺はこの部屋には…」 再び扉の向こうに消えようとする背中。 「やだ!行かないでくれ!…行くな…行くなよ…」 自然と涙が流れて嗚咽が漏れる。 「名前…呼んでくれないんだな…」 ズキンと心が痛む。さっき一の心の一端に触れた俺は、本当はもうその名前を呼びたかった。呼んで一と再び、いや今回は本当の心から愛し合える番となりたかった。だが、俺のほんの一欠片のまだ消えてはくれない一への恨みが、それを口に出させてはくれなかった。 「まだ…呼べない…でも、ここに来てその顔を見せて欲しいんだ!」 俺と一の間で取り残された夕が困り顔で俺たちを見つめる。 そこへ閉めようとする一の手を振り払って扉を無理やり開けた寒が入って来た。 「気持ちは固まり、その想いにも気が付いていらっしゃる。それでは何がそれを邪魔しているのでしょうか?」 寒が夕の車椅子の後ろに回り、扉に向かって押しながら俺に尋ねた。 「それは…」 「いいんだ!俺はここに来るつもりはなかった。もう全に会うつもりもなかった。俺は…もう…お前の番ではないしな…苦しい思いをさせてすまなかった…」 「待って!行くな!行かないで…!」 扉が閉まり足音が小さくなっていく。夕と寒がはぁとため息をつき、寒が車椅子から手を離すとベッドに近付いてくる。 「申し訳ありませんが、命令ですので…」 ワゴンに乗せられてあった拘束具がいつも通りに口に付けられ、点滴を取り替える寒。その間、誰も口を開くことはなく、俺は涙を流したままでじっとされるがままでいた。それではと二人が静かに部屋から出て行くと、一気に俺の感情が爆発した。 一!一!行かないでよ、一!愛しているんだ!そばに、俺のそばにいてくれよ、一!! 心の中で絶叫するもそれは一切、音にもならず。阻むのは口枷ではなく俺の中の一への恨み。それが一を想い、そばにいて欲しいと強く願う俺の前に今も立ち塞がったまま。 どうしたらいいのか分からず俺はもがき苦しみ、ただ涙を流し続けることしかできなかった。

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