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20.二人の名所めぐり(3)

 写真を撮り終え、満足して去っていった観光客たちに代わり、俺達は防波堤の最先端から、般若岩らしきものを眺めてみる。  うーん、確かに鬼の顔をしているようにも見えなくもないが、何をもって、これを般若と言っているのだろうか。 「お兄ちゃん。これ、ちっとも怖くないねー」 「そうだなぁ。まず般若って感じが伝わってこないんだよな」 「うんうん」  今年で十歳になって、まだそんなに経っていない子供のミオでも、般若の事は本やテレビなどで見覚えがあるようだ。  現代日本における般若で最も有名なのは、いわゆる〝女の怒りや嫉妬〟を表現した能面である〝般若の面〟だろう。  諸説はあるが、一般的に能楽の世界だと、女が般若になる前に泥眼(でいがん)生成(なまなり)などの面を経て、ついに鬼の形相へと変化を遂げるのだという。  この大岩をそんな般若に見立てるには、角らしき角もないし、肝心の顔に至っても、無理に解釈した結果、ようやく鬼の顔をしているように見えなくもないというだけで、一見するとただの岩だ。  まぁ、〝何々に見える岩〟という触れ込みなんて、往々にしてそんなもんだよな。  それでも観察したり写真を撮ったりしやすいように、ここだけ防波堤が加工してあるわけだし、せっかくだからカメラに収めておこうか。  という事で、俺とミオは般若岩をバックに写真を撮り、佐貴沖島の名所の一つを記録に残した。 「よし、次行こうか」 「そだね」  ミオもこの岩にはさほど思い入れがないのか、あっさり了承してくれた。 「次の名所は、ここから一番近くて〝佐貴島神社(さきしまじんじゃ)〟ってところらしいな。そこに行ってみる?」 「うん。行こう行こうー」  俺たちは海を離れ、人で賑わう繁華街方面へと歩く。  その繁華街への入り口近くに、小ぶりで真っ赤な鳥居がそびえ立っており、その隣の立て札には大きな文字で〝佐貴島神社〟と書かれてあった。  この鳥居をくぐり、およそ十数段の石段を上ると、周りを木々に囲まれた境内が見えてくる。  拝殿へのお参りや神社の売店、つまり社務所(しゃむしょ)に寄るのは後にするとして、まずは手水舎(ちょうずや)でお清めをするとしよう。  ミオは神社に来ることすら初めてだったので、手水舎について簡潔に、分かりやすく説明した。  要するに手水舎というのは、俺たちのように参拝する人がその身を清めるための施設で、常に流れている水を柄杓(ひしゃく)ですくい、手を清め、その手に溜めた水で口をゆすぐのが一般的な作法となっている。  ここ、佐貴島神社では清めの水に自然の湧き水を利用しており、大変に神聖かつ、ありがたいものだという事だ。  俺も詳しい作法はよく理解していないので、先に手を、次に口をゆすいで清め、使った柄杓も綺麗に洗い流すという手本を見せた。 「つめたーい」  柄杓で手を清めようとしたミオが、よく冷えた湧き水にはしゃいでいる。  かわいいなぁ、初々しくて心がほっこりするよ。

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