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47.ひと騒動(8)

「お祖母ちゃん、ありがとう。もう、お兄ちゃんのところに行ってもいい?」 「ええ、もちろんよ。ただ、その赤みはすぐには治らないかも知れないから、また明日の朝、お祖母ちゃんに見せに来てちょうだいね」 「はーい」  ミオは元気よく返事をすると、ソファーでくつろいでいるこちらの方へと駆け寄り、空いていた俺の隣に腰を下ろした。 「ただいま、お兄ちゃん!」 「ふふ。おかえり、ミオ」 「お兄ちゃん、虫刺されは大丈夫?」 「うん。お袋が塗ってくれた薬のおかげで、痒みはだいぶ引いてきたよ」  果たして、ミオの不安を取り除くためになるのかどうか分からないが、俺は虫刺され用の塗り薬が染み込んだ、左手の甲をミオの方に向けた。 「わぁ、赤く腫れちゃってるね。でも、ボクはずっとお兄ちゃんと一緒にいたのに、いつ刺されちゃったのかな?」 「たぶん、最後の線香花火で遊んでいた時じゃないか? ついつい話に熱が入って、蚊が止まったのに気付かなかったのかもね」 「んー……心配だよー」  両手で俺の左手を優しく包み込み、うんうんと唸っているミオを見ていると、どうやらこの子は、虫刺されで腫れた部分を何とかできないものかと、思案を巡らせ始めたようだ。  そんなミオの心情を察するに、あの時、俺の彼岸花にまつわる長話を興味深く聞いていた事が原因ではないか思い込み、責任を感じているのかも知れない。 「何のこれしき、大したことはないよ。俺がミオくらいの年頃は、もっと刺されまくってきたから、慣れたもんさ」 「でも、せっかく二人で虫除けスプレーを振ったのにぃー」  ミオはそう言うや、俺の左手を包み込んだまま、首を左右に振り、まるで自分のことのように悔しがる。  そんな心優しいミオが、愛しくて愛しくて仕方ないのだが、俺はつとめて冷静に振る舞い、「まぁまぁ」と声をかけてなだめたのだった。 「さすがに蚊の気持ちは分からないから何とも言えないけど、たぶんここだけ、スプレーの散布が行き届いてなかったんだろうな。ま、よくある事だよ」 「むー。今日はお祖父ちゃんが仇を取ってくれて良かったけど、明日はもっともっと、スプレーをたくさん振らなきゃだね」  おそらく、その言葉は親父の耳にも届いたのだろう。柚月家の頼もしい大黒柱である親父は、まるで大仕事でもやり切った後のような満足顔で口角を吊り上げ、ソファーに深く腰掛けたまま、足を組み替えた。  仇討ちか。確かに蚊は人間にとって何ら有益な虫じゃないから、血を吸った奴らは仇敵(きゅうてき)と表現してもいいだろう。

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