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50.銀幕デビュー(6)
うっすらとした記憶を呼び起こし、劇中劇に出てきた監督の仕事を語ろうと思ったが、どうしても、コントなどでよく見る、椅子に腰掛け、ふんぞり返っているステレオタイプな姿が浮かんでしまう。
撮り始めに「シーン○○、テイク○○。よーい、スタート!」みたいな号令をかけたり、役者がセリフを噛んだ、あるいはド忘れしてNGが出た時や、思い通りの画が撮れた時に「カット!」なんて声を張り上げる場面くらいしか思い出せない。
何なら、シーン撮影のスタートを告げるのは、助監督でもできるわけだし、シーンの区切りを作るカチンコを鳴らすのも、普通は監督のやる事ではない。
なので、素人は素人なりに、監督の権限があってこそ可能な仕事を羅列するしかなさそうだ。
ミオが言っていた俳優のオーディションも役割に含むとして、他には演技の指導だとか、各シーンを繋ぎ合わせる指示、あるいはやむなくお蔵入りさせたりする判断も、最終的には監督の権限で行われること……くらいは何となく分かる。
〝ディレクターズ・カット〟って言葉があるくらいだし、DVDやらブルーレイのような媒体に、映画館のフィルムでは流さなかった部分を、再度繋ぎ合わせて販売するのも、監督の意向によるところが大きいはずだ。
ちなみに演技指導の部門については、某大御所の監督が、とあるシーンで死ぬベテラン俳優の演技において、リアリティや見せ方が満足する出来ではなかったため、何度もNGを出したらしい。
で、終いには監督がヒートアップしてしまい、「○○、死ね! 死ぬんだよ!」と、怒号交じりに指導したという、笑っていいのか判断に迷うエピソードがある。
そりゃあ、シリアスな映画で人が死ぬ時の演技として、「うぎゃー、やられたー」みたいな、お笑い番組さながらのわざとらしいシーンを見せられたら、制作費を用立ててくれた側、見る側の双方がトサカにくるのは言うまでもない。
だからこそって事でもないが、その監督がたくさんのオファーを受け、長く監督であり続けられている理由は、いかに脇役が逝くワンシーンであろうと、演技や魅せ方に一切の妥協を許さないからだ。
どの仕事でもそうだが、監督にも信念というものがある。一人の人間が死にゆく様を、これでもかというくらいリアリティに溢れた演技とカメラアングルでもって、見る人の胸を打つような、満足のいくカットを撮りたいがために、何度もNGを出したのだろう。
監督も役者も裏方の人も、全身全霊でもって、情熱を注いで作り上げるからこそ、映画も立派な芸術と見なされ、視聴する事を〝鑑賞〟と呼ばれるんだと思う。
「――とまぁ、俺が知っている仕事内容はこんな感じなんだけど、映画を生かすも生かさないも、監督の腕しだいなところがあるわけだな」
「なるほどー。やることがいっぱいあって、大変なお仕事なんだね」
本当は「生かすも殺すも」と言うのが適切なのだが、うちの幼い子猫ちゃんに、あまり物騒な表現を使った話を聞かせたくなかったので、あえて言い間違えた。
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