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50.銀幕デビュー(19)

「そうなんだ。最初から、倒したままにしちゃダメなの?」 「ダメって事はないよ。ただ、こうして座るところが立ててあると、通路として通りやすくなるだろ?」 「あ、そっか! よく考えてあるんだねー」  疑問が解けたミオは感心した様子で、すぐ隣の席を確保した俺のために、そっと道を開けてくれた。  そして各々が、肘掛けにあるカップホルダーに飲み物を置いて座席を倒し、ゆっくり腰を落とした。これでようやく人心地つける。 「ふー。ずいぶんゆったりとしたシートだから、うっかり寝ちゃうかも知れないなぁ」 「もぉー、寝ちゃダメなんだからね! もしお兄ちゃんが寝たら――」 「寝たら?」 「……キスして起こすもん」  はぁ、何て優しく可愛らしい起こし方なんだ。その言葉を聞いた俺は、大人の余裕を見せるべく、(つと)めて余裕な笑みを作ったものの、内面では、胸の高鳴りを抑えるのがやっとだった。  母親には布団を剥ぎ取られ、元カノにはビンタを食らって無理やり覚醒させられたものだけど、ミオの起こし方こそが、最も慈愛に満ち溢れている。  きっとこの子は、大声でわめいたり、暴力に訴えるといった野蛮な発想が、自分の中に存在する辞書を引いても存在しないのだろう。  ミオのように、美少女を超えるほどの愛らしいショタっ娘ちゃんが、そっとキスして起こしてくれると言うんだから、試しに狸寝入りでもしちゃおうかな。 「お、起こし方はともかくとしてだ。どうだい? ミオ。前のスクリーンは見えそう?」  ミオはまだ体が小さいので、そのまま座席に座ったままだと、前方の列に観客が座った場合、頭で死角になって、鑑賞どころの話じゃなくなるかもかも知れない。  そういう事態を見越して、俺はあらかじめお子様用の補助シートを確保し、その上にミオを座らせたのだが、果たして、効果のほどはいかなるものか。 「うん、よく見えるよ。おっきな白ーいのが全部見えるー」 「そっか。そりゃ良かった」  もうすぐ上映時間を迎えるが、どうやら、ミオが座っている席のすぐ前列で、映画を鑑賞する客はいないようだ。この状態なら、良好な見晴らしを維持できると思う。  端っこの座席は基本的に、その隣に座る人以外とは干渉しない構造なので、気が楽ではある。これは、電車のロングシートにおいても同じ事が言えるだろう。  ただ、誤解してほしくないのが、「袖振り合うも多生の縁」という(ことわざ)に逆らい、他人を袖にする意図でもって、関わりを避けているわけじゃあないんだ。

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