616 / 831

50.銀幕デビュー(24)

 あえて、純粋なショタっ娘ちゃんの目線に合わせて答えはしたものの、メイザーが完全に悪者なのかと言うと、決してそうではない。  彼がデヴィッドへ出資するにあたり、細部に渡る取り決めを詰めて契約を交わし、その内容を書面にしたため、お互いが合意の上でサインする場面は確かにあった。  つまり、デヴィッドはその契約書へサインする前に、自分の興した会社や事業、蓄えた資産諸々を没収される条件がしたためられた取り決めを見つけ、その場でサインを拒否するチャンスはあったのだ。  確かにメイザーは、小狡(こずる)い中年太りのチョビ髭野郎だろう。大きな夢を抱いてシカゴまでやって来た、デヴィッドから漂う金の匂いを嗅ぎ取り、時が来たら、その資産を奪い取らんと目論んだのだから。  このチョビ髭野郎は、怒り心頭のデヴィッドに「金の亡者」や「厚顔無恥」なんて罵られても、どこ吹く風とばかりに、終始涼しい顔で聞き流していた。そのくらいメンタルが強くないと、不動産王までのし上がれなかったのだろう。  メイザーは確かに(こす)っ辛い奴だが、目の前に積まれた支度金の札束に目がくらんだがあまり、契約書の肝心な条項を見逃し、疑う事なく署名したデヴィッドにも落ち度がある。  ――とはいえ。  封切り直後は「そんなの契約書、破り捨ててまえ!」とか、「映画は客を喜ばせてナンボの商売やろが!」とか、「やったもん勝ちみたいなシャシンを撮るな!」みたいに、(はらわた)が煮えくり返るほどの怒りに震え、中途退場した観客がいたかも知れない。  俺の隣に座って唇を噛み、失意にくれた青年の背中を切なそうに見守っているミオも、隣に俺がいなかったら、やりきれない気持ちで見るのを止めていただろう。  映画の出来に関する評価は知らないが、少なくとも、この作品を撮った監督は、架空の物語の人物に対して、憎悪や憤怒といった「負の感情」を抱かせる事に成功したのだ。その技量は疑うべくもない。  冷めたモノの見方だと言われるかも知れないが、俺は俺で、メイザーよりもタチの悪い〝あの女〟に散々振り回された経験があるので、心理描写よりも、作り手の魅せ方や描き方に目が行くようになってしまったのである。 「ねぇお兄ちゃん。この映画、『騙される方が悪い』ってお話?」  デヴィッドがユタ州行きの寝台列車に乗り、ベッドで横になってまぶたを閉じ、ただひたすら走行音が響くだけのシーンから目を切ったミオが、たまらず解説を求めてきた。 「うーん……そういう考え方を持つ人もいるけど、監督がこの映画の題名を、日本語で言うところの『寝台特急』に決めた意味がなぁ」 「お名前の意味?」 「そう。確かにデヴィッドは騙されて損をしたけど、この映画のテーマはそこじゃない気がするんだ」  とは答えたものの、根拠らしい根拠は何もない。俺自身、この監督自らが脚本を書き、メガホンを取った映画を見るのは今日が初めてだから。 「少なくとも俺はさ、騙された人が悪いとは思わないよ。むしろそういう人にこそ、手を差し伸べて、助けてあげたいと思うんだ。甘い考え方かも知れないけどね」 「そんなことないよー。優しいお兄ちゃんに逢えたから、ボクは今、大好きな人と一緒にいられるんだもん」  ミオはそう言うと、肘掛けに乗せていた俺の右手を優しく包み、指を絡めてキュッと握った。

ともだちにシェアしよう!