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51.帰路にて(3)
ミオはいつも、俺の優しさやルックスが好きだと言ってくれる。性格はともかく、かっこいいかどうかの自信は正直ない。顔については普通だと思うけども、まかり間違っても「私は美しい」とは言わないよ。
で、あるがゆえに、リゾートホテルで逢った双子のショタっ娘である、レニィ君とユニィ君に惚れられた理由も分からないのだ。
見てくれというよりも、例えば車の運転やパソコンの操作みたいに、ミオができないことをやっている姿に憧れを抱いて、「かっこいい」と思っているんじゃないかな。
俺のまぶたが奥二重なのは親父譲りで、その他はお袋に似たらしい。同僚の佐藤には、「柚月、お前塩顔やな」と言われた。今ひとつパッとしない表現だが、要は「顔がしょっぱい」って事なのか?
ちなみに佐藤は、己の顔について、「佐々木クラノスケのような」しょうゆ顔だと自慢していた。しょっぱいという意味なら、塩も醤油もドッコイだろうに、どこがどう違うんだ。
佐々木クラノスケと言えば、かの新選組に属したヒラの隊士を指しているのだと思うが、あいつは一体、どこで顔写真を仕入れてきたんだろう。
日本史が得意と言いながら、紫式部と清少納言、夏目漱石と野口英世ですらの区別もつかなかったくせに、不思議な奴だ。
挙げ句の果てには、「同じ千円札の顔なんやさけぇ、実質同一人物やろ」なんて、破れかぶれな事を言い出す始末だし。その無茶な理論が通るのなら、伊藤博文と聖徳太子も同一人物だよ。
「今更言うのも何だけど、あんまりロードムービー感なかったな、あの映画」
「そだね。最初の移動もちょっとだけだったでしょ……」
「うん。後半の帰省中でも、故郷が同じユタ州の女の子と〝偶然〟出逢って、最後はスピード結婚だろ。やっつけなのか何なのか」
「ね。ちょっと急ぎ足かなって思ったよー。絶対、あのお兄さんの映画じゃないよね」
「ああ。間違いないな」
途中まではメイザーが目立ちすぎて、一体どうなるものかと心配したが、デヴィッドと女性の出逢いから結婚までを描く事で、物語は一応のハッピーエンドを迎えた。
ただ、この短編映画が評価された理由はそこにはない。俺とミオは、デヴィッドの帰省シーンをそこそこに、恋人繋ぎでイチャつきながら見ていたが、うっすらとは気付いていたんだ。
主人公よりも悪役に重きを置いて撮影に臨み、セリフの抑揚や、細かい仕草にまで熱を入れた監督の演技指導を受け、みごと期待に応えてみせた、無名の俳優に対して賛辞が贈られた――という事に。
つまりあの監督は、ロードムービーという体《テイ》で予算を引き出し、マフィアの裏社会をテーマに描いた名作映画の主役、マーロン・ブランドのような、威厳とカリスマ性を併せ持つ俳優の育成を目論んでいたのだ。
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