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51.帰路にて(8)

 ついでに、アルファベットの〝Z〟が意味するところを挙げると、行き着いた先の事を示す隠語のようだ。  例えば、二人が結婚したらZになるし、失恋してもZになる。要はひと区切りって事なんだろうが、今時の若者に「おやっさん! 俺たち、今度Zするんスよ!」と言われても、おやっさんはただただ困惑するだけだろう。 「えーと、俺が好きな映画の話だったな」 「うん。映画の種類でも、映画のお名前でもいいよー」 「映画のお名前かぁ。怖いの抜きの方がいい?」 「抜きにしてぇー。怖いの泣いちゃうから」  ミオはもともと泣き虫だから、あえて自ら嫌な思い、怖い思いに身を投じるようなマネはしない。むしろ、俺と暮らすようになって、明るく楽しく生きていきたいと思うようになってくれたのだから、尚更だ。  こうまで前向きな子に対し、求めていない恐怖やストレスを与えるのは、とてもじゃないが教育とは言えない。それはただの虐待だから。 「じゃあ怖いのは抜きにして……うーん」 「どしたの? お兄ちゃん」  怖いものを抜きにするとは言ったものの、どこまでが怖いものに入るんだ? という線引きをしなくてはならない事に気がついた。  過去に見た映画の数々を、記憶の引き出しから引っぱってみて思ったが、洋画は、特にハリウッド映画のアクションものは、流血だの銃殺だのという、暴力的な描写がとにかく多い。  俺が一番好きな『ザ・ロック』は、メイソンの逃亡劇で車やら路面電車をぶっ飛ばすし、アルカトラズ島の刑務所においては、籠城するハメル准将たちとの激しい銃撃戦もある。  極めつけが、VXガスの詰まった玉を敵に食わせて毒殺するなど、なかなかエグい。  このように、バイオレンスな面に関しては寛容である反面、ハリウッド映画は子供に対し、傷のひとつでも負わせるような描写すら許さない。  まぁそこに異論はないよ。『ホーム・アローン』みたいなコメディ映画ならともかく、かよわい立場の子供をいたぶる事が、エンターテインメントの一部だと思っている奴は、正直頭がイカれている。 「あ、ごめん。好きな映画を思い出してたんだ」 「何か見つかった?」 「うん。俺が小さい時、テレビの映画放送で見た、『ビーン』の完全版はとても面白かったよ」 「ビーン?」 「そう、ミスター・ビーン。ビーンは英語で〝豆〟って意味なんだけどさ、もう既に、その名付け方がおかしくてね」 「その人、豆みたいな顔だったの?」 「いやいや。ビーンを演じたローワン・アトキンソンは、普通にしてると男前なんだよ」 「おとこまえ? お兄ちゃんくらい?」

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