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51.帰路にて(13)

 紀元前・後を問わず、歴史上で功績を残した偉人の一生を漫画にする。こういう手合いの本は、およそ二十年くらい前にもあった。  かつて児童養護施設にいたミオが読んだのも、似たような、分厚い歴史偉人伝だったらしい。  その分厚い偉人伝を一冊でまとめる場合、偉人一人につき、たったの二ページで生涯を描き切らなくてはならないという、子供には察するべくもない決まり事があった。  それがどんなに大変な作業だったのかは、漫画家ではない俺でも容易に想像がつく。与えられた資料をもとに、余白の確保を念頭に置いたコマ割りでもって描くのだから。  しかし、だ。漫画家先生による、血のにじむような努力で描かれた偉人たちの生涯も、新しく発見した文献や史料によって研究が進む事により、情報がアップデートされつつある。  近年、議論の的としてしばしば名前を挙げられるのが、鎌倉幕府が成立したとされる、当時の年号にちなんで語呂合わせをした、「いいくに(一一九二)作ろう鎌倉幕府」が有名だろう。  世界史や日本史を学ぶ上で、ただ数字だけを覚えていても、その年に何が起きたのかが結びつかなければ、全く意味がない。  ゆえに、過去の教材を作った会社や先生方は、練りに練って、無理のない語呂合わせで年号を示し、当時に何が起こったのかを覚えさせる事によって、試験の正解を導いてきた。  ところが、一一九二年から(さかのぼ)ること七年。源頼朝(みなもとのよりとも)が、朝廷より『文治の勅許(ぶんじのちょっきょ)』を与えられたという記録が残っているというのだ。  その記録を根拠として、「実質的な鎌倉幕府の成立は、文治の勅許により、頼朝が絶対的な権力をモノにした〝一一八五年〟ではないか?」とする説が台頭しつつある。  よって、「鎌倉幕府を開いたのはいつか?」という試験問題に対する正答を、過去に覚えた語呂合わせのまま「一一九二年」と答えた場合、バツをもらうおそれがあるのだ。  もっとも、その学校が採用した教材の解釈しだいではあるが。 「とまぁ、そういうわけで、年号に対して新説が出てきつつはあるんだけど。とにかく、源頼朝が『征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)』という、偉い役目に就いた事自体は間違いないんだよ」 「うん? うん。何だか、ボクが知らないお話が増えてきちゃったなぁ」 「ただ、最近では他の史料も見つかってね。頼朝はその役目の権力よりも、易学(えきがく)を重視したフシがあるらしくて――」 「……んー? エキガクが何だか分かんないけど、ヨリトモおじさんは、カマクラを作った人だってことだよね?」 「うん。平たく言うとそういう事だな。もっとも、征夷大将軍という役目が、ただの名ばかりのモノだった、みたいな新説が……」  とまで話したところで、助手席に座るミオが、困ったような顔をしている事に気がつき、ハッと我に返った。

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