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52.夏の終わりに(17)
これはISS(国際宇宙ステーション)やGPS衛星でも共通する話だが、実はどちらの衛星も、常に落下し続けている。
ただ、その事実だけしか明かさなければ説明が片手お……いや、不充分になるため、疑問を解消する事はできない。
ミオとお袋が欲しているのは、「なぜ人工衛星は落下しないでいられるの?」という疑問に対する明朗な答えである。
その答えとして、仮に俺が「落ちないものは実は落ち続けている」と、いかにも背反するような解説だけで済ませたところで、「こいつは一体何を言っているんだ?」と思われるのが関の山だ。とんちを利かせているわけでもないのに。
つまり現状は、ミオとお袋による問いに対し、俺が学んだ雑学の知識にて、二人が納得する答えを導き出せるかどうか? という正念場にあるのだ。ただの雑談としてミオにキッズスマホを買い与える話をした時、GPSという謎の横文字が登場した事で、ここまで膨らんでしまった。
文系の俺が、興味本位だけで身につけた天文学や宇宙工学の知識で説明するのは難しいけども、頼りにされている以上、全力を尽くすしかない。
「まぁあれだ。人工衛星が落下しない仕組みを一言で説明すると、『引力』と『遠心力』の均衡 が取れているからだね」
「んん? 引力は分かるけど、エンシンリョクってなぁに?」
「そうだなぁ。口頭で説明しても覚えにくいから、遠心力を一緒に体験してみよう。お袋、バケツある?」
「脱衣所の隅にあるわよ。プラスチック製だけど」
「構わないよ、水漏れさえしなきゃね。ミオ、バケツに水を汲んでくるから、ちょっと待っててな」
「うん。……バケツ?」
ミオは脱衣所に向かう俺を見送りながら、小首を傾げ、バケツに水を汲む事の意味を推測しているようだった。
そんなミオの対面に座るお袋はお袋で、俺が水を汲んで戻ってくる間、何も知らないふりをしていてくれたようだ。
遠心力が何かを知る入門編として、バケツに水を汲んでやる事といったらあれしかないもんな。
「お待たせ、ミオ。それじゃあ、ちょっくら庭に出て、遠心力の実験をやってみよっか」
「はーい。お祖母ちゃん、お庭でエンシンリョクのお勉強してくるね!」
「行ってらしゃい。きっと楽しい体験になるわよ」
遠心力とはいかなるものか? という疑問を解くに当たり、最も身近でお手軽に用意できる実験道具が、このバケツと、容量の半分くらいに注がれた水。たったそれだけで、遠心力の働きを知る事ができる。
学生時分の俺が教室の掃除をしていた時、生徒が各々持ち寄った雑巾と、水、あるいはお湯を汲んだバケツのセットにて、せっせと床の雑巾がけをしていた頃を思い出す。その水やらお湯やらを汲んだバケツを使って遊んでいたのが、遠心力を体験する実験だ。
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