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52.夏の終わりに(18)

「よーし、やるぞ。ミオ、念のために俺から離れて見ててね」 「うん。何だかドキドキするなー」  ミオは縁側に腰掛けると、両手を胸に当て、目を大きく見開いた。一体俺が何をやるのかと、ワクワクが抑えきれない様子だ。 「さぁさ、皆さんお立ち会い。手前がこれから披露するは、水を注いだバケツを上へ下へと振り廻し、一滴たりとも水をこぼさぬ、遠心力の為せる業。見事ご覧に入れましょう。さぁさぁ、お立ち会い、お立ち会い」  という俺の口上を聞いたミオは、わぁっと声を上げ、目を輝かせながらパチパチと手を叩き始めた。  実のところ、この口上は学生時代、「絶対に成功する」との(うた)い文句で〝けん玉〟の実演販売をしていた露天商のそれをアレンジしたものである。  神農道(しんのうどう)に身を置く香具師(やし)のおじさんが、啖呵売《たんかばい》……つまり口上でもって客の関心を集め、その巧みな腕前にてあらゆる技を成功させ、「自分でもできそうだ!」と思った客に売りさばいていたのが、古くから親しまれてきたけん玉だ。  あらかじめ断っておくと、神農は一般的にテキ屋の事を指す事が多く、いかにも極道の稼業だと思われがちだが、必ずしも極道である必要はない。俺の田舎のように、昔ながらの露天商でメシを食ってきた稼業人が属する組織は、一般人の集まりで形成されている。  落語の演目では、止血に効果があると謳った『ガマの油』売りの口上が有名である。古典落語として親しまれてきた演目で、実演販売の長台詞に期待が集まるのも、その口上だ。  もっとも現在では、ガマの油を実演販売する事は禁止されている。これは薬事法に基づいた規制によるところが最も大きい。要するに、ガマの油を医薬品として売るのは薬事法の違反に当たるから、お縄を頂戴する羽目になりますよ、という事だ。  いかんいかん、そんな話はどうでもいい。とにかく現状は、ガマの油を紹介する口上は伝統芸能として受け継がれ、見世物として観客に楽しんでもらっているという事である。  それを踏まえた上でけん玉の話に戻すと、子供連れの客が多い繁華街では、アナログながらも奥が深いけん玉遊びを広めて欲しい! という、ここ咲真市(さくまし)からの要望を受け、実演販売ができる達人を派遣したんだろう。  さて、実践を始めるとしますか。 「んじゃ回すぞー。ミオ、よく見ててね」 「はーい!」  元気いっぱいなミオの返事を受けて、俺は水の入ったバケツを右手に持ち、縦回転でぐるぐると振り回した。  しかし、バケツに注がれた水は、いくら振り回されても、一向にこぼれる様子がない。なぜなら、その水には遠心力が働いているからだ。

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