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52.夏の終わりに(34)

 ――で、だ。話と時代を戻して江戸時代あたりに(さかのぼ)ると、博徒(ばくと)のシノギとしてよく知られたのが、〝壺振(つぼふ)り〟で有名な『丁半』だ。  この博奕で胴元が勝つための策として、サイコロの中に重しをつけ、出目の調整を行っていたと聞く。  そうして負けた客の賭け金を頂戴し、時には勝たせる事で、サイコロに不正はないという印象を植え付け、固定客を囲って食い繋いできたのである。  時代劇や任侠映画などによくある、サイコロを用いた博奕の一幕では、そのサイコロをかじり、中身をあらためて不正を暴いていた。もっとも、一流の壺振り師は熟練の技術でもって、何の仕掛けの無いサイコロでも出目を調節できたらしい。つまり、小細工になんか頼らなくとも、胴元が勝てる目を出し続ける事は可能だったそうだ。  にわかには信じがたい話だが、そこから生じた言葉が「思う(つぼ)」である事から、現実として、自分が狙った目を出せる腕利きの壺振り師がいた、という裏付けにはなるかも知れない。  ……まぁ。いくらサイコロだの丁半だのと言ったところで、それは過去の話。今の日本においては、認可のない博奕でお金を賭ける行為自体が違法ですから。  仮に、抜き打ちでこっそり開かれていた賭場へ警察が押しかけた場合、胴元だけでなく、賭け金をつぎ込んだ客も同様に逮捕される。  この場合、賭場を開帳していた胴元は、「賭博場開帳図利罪(とばくじょうかいちょうとりざい)」という罪状で裁かれる(刑法第百六十八条第二項)のだが、組織ぐるみでの開帳や賭博への参加においては、「組織犯罪処罰法」という、賭博も含めた最も重い罪に問われる。  仮に胴元の組織がカタギであろうが極道であろうが、やっている事は同じなので、罪状に変化はない。  これは闇カジノでも言えることだが、大負けした客がウサを晴らそうと思い、胴元がいつ、どこで賭場を開帳しているかを警察にリークする事もあるらしい。  もっとも、そのリークの真偽を確認するために内部調査を行って裏を取るそうだが、さすがに、その実情までは知らない。なぜなら俺は普通の営業マンであって警察官じゃあないし、賭け事にも全く興味がないからだ。 「なぁ母ちゃん。とある遊戯なら、色香で店長あたりを釣って、勝てる台を知らせてもらうとか、やりようはあるだろ?」 「さあ。色香でどうにかなる話かしらね。亡くなったわたしの伯父さんは、台の中で球を管理するおばちゃんに袖の下を渡して、勝たせてもらっていたとは聞いたけど。もうそんな時代じゃないでしょ」 「んー? ねぇお兄ちゃん、イロカってなぁに?」 「え……色香?」 「うん。イロカだよ。教えて教えてー」  全くの予想外だ。ミオがまさか、〝とある遊戯〟よりも、〝色香〟の方に食いついてきたとは。  遊戯の正体へ興味が向かないところを見るに、この子はおそらく、賭博自体への関心が全く無いなのかも知れない。良いことだけど。 「色香ねぇ。要するに色っぽさを()き出しにした、女性が持つ魅力みたいなものなんだけど、悪用される場合に使う事もしばしばあるかな」 「悪用? たとえば?」 「例えば、そうだなぁ。色っぽい女性に目がないような男に迫って、買ってもらった高級バッグを質屋に流したり、大事な機密情報を引き出したりとか、色々あるよ」 「むむー、難しい言葉がいっぱいだね。ねぇお兄ちゃん、ボクにもそのイロカはあるの?」 「ん!? そ、そりゃまあ、無いと言えば嘘になるから、あるのは間違いないよ。ただ、うまく説明できないけど、シチュエーションが異なるような……」  という答えの中に、ミオは自分が苦手としている横文字が含まれていたため、しばらく首を傾げて考え込んだ末、(くだん)の横文字は聞かなかった事にして「ある」と判断したようである。

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