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52.夏の終わりに(38)

「義弘。ミオちゃんは、『サイコロの別名がシンプルなの?』って聞いてるのよ。もっと簡単に教えてあげなさい」 「あ。そういう事だったのか! ごめんごめん。まぁ平たく言うと、サイコロを使った博奕は、決め事が簡単だから、誰でも参加しやすかったって意味なんだ」 「んーと、それはお兄ちゃんがさっき教えてくれた、何の数字が出るかを当てるだけでいいからってこと?」 「うん、その通りだよ。正六面体のサイコロを転がして、六通りある数字のうち、どれが出るかを予想する。これなら誰でもできるだろ?」 「そだね。ボクでもできる……けど、数字を当てられる自信はないなぁ」  ミオはちょっと困ったような顔になり、指折りしながら数を数え始めた。ミオの手は指が五本だから、片手では、あと一つが数えられない。それほど多いサイコロの目に対し、一点張りで賭けに出る事のリスクがいかに危険なのかを、直感でもって察知しているようだ。 「そう思うのが普通なんだよ、本来はね。でも、生活費までつぎ込んで大負けして、命を絶つ人が増えたから、認可のない博奕はやっちゃダメ! って法律ができたのさ」 「生活費? それって、ご飯を作ったりとか、お水代や電気代とかに必要なお金でしょ。そんな大事なお金まで、賭け事に使っちゃう人がいるの?」  いかにも不可解そうに、眉を歪めて問い確かめてきたミオの心理はよく分かる。ギャンブルで身を崩し、自らを殺める人の行動原理なんて、とてもじゃないが、まだ十歳の子供が慮《おもんばか》れるようなものではないので。 「残念だけどね。脳みそが自分を制御できなくなったら、『今度は勝てる!』と思っちまうんだよ。その軍資金を作るために、食費を切り詰める人もいるからな」 「丁半博打だけに限らないのよ、そういう人。スポーツ新聞で『百万円単位の万馬券が出た』ってニュースを見たら、心が揺らいじゃうんでしょうね」 「んー……ボクには分かんないよー。そこまでして、どれだけのお金が稼げるの?」  という問いに対し、答えられる大人は一人もいなかった。俺も、お袋も、親父でさえも。  ギャンブルに脳を焼かれた人は、一発逆転させたいから大勝負に出るのだろう。だが先ほど親父が言ったように、賭け事は、胴元が勝つようにできている。そうでないと事業として成り立たない。  ギャンブルとはちょっと違うが、株取引の格言に「いのちの金で株をするな」というものがある。つまり、生活費をつぎ込んでまで株取引をしたらダメよ、という意味だ。  これは賭け事にも言える事で、生活費どころか、サラ金でお金を借りてまで、博奕で大勝負をかけようだなんてのは無謀この上ない。かように金銭感覚が麻痺している廃人だと最後に気付くのは、借りた本人だったりする。  少なくとも、俺の隣でウサちゃんを撫で続けているピュアなショタっ娘ちゃんには、博奕の負けで進退窮まった人間と関わる心配はないだろう。俺の目が届くうちは。  そもそもこういった分野は、精神科医や、ギャンブル依存症からの回復をサポートする施設や団体の方が詳しいので、俺たちのような素人がどうこうできる問題ではない。

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