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54.完全決着(4)

「場合によっては、娘さんへの育児放棄として、親権喪失(しんけんそうしつ)を問われる事もあるんですよ。大切な実親である柚月さんが逮捕されたら、娘さんもさぞや悲しまれるのではありませんか?」 「……はははは。弁護士ともあろうお方が、実におかしな事を(おお)せになるんですね」 「はい?」  柳弁護士のような人物は、俺にあざ笑われたと思ったのか、しかめっ面で聞き返してくる。あまりに滑稽(こっけい)なもので、笑いが(こら)え切れなかっただけなんだが、今さら釈明するつもりはない。  なぜならこいつは正体を偽っているからだ。 「いやいや、何と言うか。途中までは、(きつね)(たぬき)の化かし合いになると思っていただけに、拍子抜けしてしまいまして」 「そのように仰る意図が分かりませんね、柚月さん。ご自身の中では、娘さんは家事をこなせるから、すでに成年を迎えた、と言うのなら間違いですよ」 「うんうん。とこで柳センセイ。あなた、僕に娘がいる事をどうやって知ったんですか?」 「えっ……!?」  露骨に動揺している。俺の問いかけに即答できない理由(わけ)は、自称弁護士が、住民票の写しを取得していないからだ。  そもそも弁護側は、俺が証人になったら困るようなので、そんなやつの個人情報を調べても、何の収穫にもならない。  俺の見立てではたぶんこうだ。事前に誰かから仕入れた情報をもとに、権威を振りかざせると思って弁護士を装った。いざという時のために「親権」をチラつかせて、俺の出廷拒否を勝ち取るつもりだったんだろう。  一般人ならそれでも騙せたかも知れないが、勤続五年目の俺が、誰の下で叩き上げられてきた人間なのか、その経歴までは調査の手が及ばなかったらしい。 「ああ、そうだ。先ほどの質問への答えを頂戴する前に、センセイとのお話を録音させていただきますね」  一転攻勢と見た俺は、テーブルに肘をついて手を組み、笑みを浮かべ、顔色が悪くなってきた男を見上げる。  テーブルに置かれたICレコーダーを見て、男はいよいよ狼狽(ろうばい)し始めた。名刺に書かれた弁護士、柳惠一(やなぎけいいち)の姿はすでに無い。 「ろ、録音? そんなものを何に使うんですか?」 「いえね、僕もこうして仕事を中断して応対に当たっている以上、柚月は仕事をサボって、応接室で茶飲み友達と談笑していた! みたいな根拠のない言いがかりをされると困るものですから」 「でしたら! 会話の録音をしたICレコーダーよりも、当職が直接上司にかけあって、直接お話を――」 「しなかったから、始業時間に弊社を訪れたんでしょう? 今聞きたいのは、センセイの言い訳ではないんですよ」 「うううう。だったら何を?」 「では、もう一度だけ伺います。センセイは何の根拠で、僕に娘がいると確信されたんですか?」 「それは、弁護士としての『職務上請求』ですよ。開廷を控えている今、証人がどこに住んでいるのかを把握しないといけないので、住民票の写しを閲覧した次第です」 「その住民票はお持ちですか?」 「……いえ、今は」  ずいぶん歯切れが悪くなってきたなぁ。自分の立場が危うくなってきたのを察したんだろうけど、それでも弁護士だと自称し続けるのなら、追撃の手を緩めるわけにはいかないな。

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