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54.完全決着(5)

「つまりセンセイは、手元にはない住民票の写しから、僕の同居人が女の子だと思った、と。そういうお話ですか?」 「え? ええ。何か間違っていますか? あの子を見れば歴然(れきぜん)かと思いますが」  何か、どころじゃないよ。住民票の記載に基づいて、ミオを女の子だと思ったって主張をするつもりなら、「あの子を見れば歴然」なんて言い訳は無意味じゃないか。住民票に顔写真は貼らないんだぞ。  嘘に嘘を重ねると、徐々につじつまが合わなくなる。その場で思いついた言い訳を、もっともらしく並べ立て続けたら、整合性を欠いている事にさえ気付かなくなるんだ。  かような状況下で、俺が柔軟な態度を見せるフリをすれば、すぐにでも食いついてくるだろう。  ……それすらもワナだと気付かずに。 「なるほど。住民票は個人の氏名や住所、生年月日、性別などを記録する書類ですからね」 「でしょう? その住民票を拝見すれば、誰がどういう人なのかは一目瞭然(いちもくりょうぜん)じゃないですか」  ほらな。さも俺が、助け舟を出してあげたように錯覚させれば、この男はさらなるワナにかかっていく。チョロいもんだ。  最初の方こそ口達者(くちだっしゃ)だったものの、こうして逆に問い詰められる事は想定していなかったんだろうな。俺が民事訴訟を起こすなら、こいつには絶対に代理人を頼まないね。 「そうですか、住民票をね。裁判の証人として呼ばれるという見込みで、僕の〝住民票の写し〟を取得した。ここまではまだ分かる話ですが、センセイ、住民票の意味をご存知ですか?」 「はい? 今、柚月さんが仰った通りでしょう。他に何の意味が?」 「僕たちが住む地域の役所では、住民票の写しとして、世帯主や居住者ひとりずつの『個人票』を発行しているんですよ。ところがセンセイは、僕に女の子の子供がいる事までをご存知でしたね」 「え。え? 個人票とは?」 「どうされました? センセイはご職業がら、住民票の写しに馴染みがあるのでは?」 「馴染み!? も、もちろんありますよ。私はさっき、『職務上』に基づいて交付を受けたと言ったじゃないですか」  やれやれ。もう「当職」っていう、一人称の設定まで忘れてるじゃん。おまけに、住民票にまつわる専門用語まで間違っちゃって。 「では、もう一度確認しますけど。センセイは僕の事を知るために、個人票として、僕の分だけの住民票の写しを請求されたと?」 「ええ、そうですよ。何か変ですか?」 「実に変ですよ。この地域での役所が発行する住民票の写しでは、同居人の名前や生年月日、続柄、性別等々は一切載せないんですよ。個人票にはね」 「あ……」 「しかるに、センセイは僕に娘がいると仰ったわけですが、その理由を説明できますか?」 「あのー、あ、あのー、一体、どう申し上げたら良いのか。なにぶんにも昔の話なので、手続きを誤って、む、娘さんの分まで取得(しゅとく)っちまったんじゃないかと」  何なんだ、「所得っちまった」って。いくらなんでもテンパりすぎだろ。  たぶん、自分でも苦しい状況だとの自覚はあるんだろうな。ポマードできっちり固めた髪の毛は、すでに汗でグショグショだ。まばゆかった額をつたう汗も、頭皮から溶け出したポマードと混ざり合って、変な色になっている。 「さようですか。つまりセンセイは、間違って娘の個人票まで取得したとお認めになるんですね?」 「は……い。マチガイアリ、マセン」  あーあ。そこは認めたらダメなところなのに、ついに逃げ道すら間違えちゃったか。この分じゃあ、さっき「録音する」って宣言した事すら忘れてそうだな。

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