699 / 821

54.完全決着(6)

 住民票の写しは、様式どころか呼び方にすら統一感がない。ただ、先ほど挙げたように、『個人票』と『世帯票』に分けて交付するのは、明確な理由があってこそだ。  世帯票は、家族を代表とする世帯主の他、同居人の名前と生年月日、続柄、性別なども記載されている。世帯主の同居人が誰なのかを知りたいなら、まず世帯票を取るしかない。  しかし、この男は「二人分の個人票を請求した」と認めてしまった。もっとも、請求したのが世帯票だったとしても、ミオの性別は男だから「(むすめ)」ではない。  次にこの男は、俺をミオ(らしき架空の娘)の「実親」だと言ったが、俺が選んだのは養育里親であるため、ミオの実親ではない。  ゆえに、住民票という書面上での続柄は、俺の「子」ではなく、「縁故者(えんこしゃ)」という扱いになる。  かように複数の矛盾を突かれた柳という男は、もはや、弁明の余地もない窮地(きゅうち)へと陥ってしまったわけだ。  こうなったら徹底的に追い詰めて、誰の指示で動いているのかを吐かせてやろう。 「で? 何か申し開きする事はありますか? センセイが、仮に住民票の写しを職務上請求で取得した場合、『本人通知制度』というシステムが働いて――」 「グッ……ううう。何なんだよお前は、さっきから! 失礼じゃないか!! こっちは士業でメシを食ってるんだぞ!!」  極限まで追い詰められた男はとうとう開き直ったのか、顔を真っ赤にして怒声を張り上げ、意味のわからない「士業アピール」でまくし立て始めた。  たぶん、自分の感情をコントロールできなくなったんだろうが、この期に及んで、まだ自分を弁護士だと言い張る図々しさだけは見上げたもんだよ。自分の逆ギレするさまも、キッチリ録音されているのにな。  露骨な怒りと敵意をむき出しにした、弁護士ごっこ野郎への追い打ちをかけようとしたその時。途端にドアが三回ノックされ、一人の男性が応接室へと入ってきた。  その男性こそ、我が営業第一課のドン、「鬼の権藤」こと権藤頼政(ごんどうよりまさ)課長である。 「あ、課長! おはようございます」 「うん。さっき佐藤から話を聞いた。もう録音は止めていいぞ」 「はい、分かりました。……で。あの、もう終わったところなので、仕事に戻ります」  ほんとは俺が締め上げて吐かせたかったんだけど、よくよく考えれば、仕事をおざなりにしてまでやる事ではないよな。俺の本業は、あくまで営業マンなんだから。 「待てよ。こっちはまだナニも終わってねえんだよ! てめぇは大人しく――」 「貴様は黙っていろ」  という課長の冷酷な目つきに威圧された男は、体をビクンと震わせると、姿勢を正して直立不動になり、そのまま押し黙ってしまった。まぁ、普通はそうなるよな。提出した書類の不備で課長に怒られている時の佐藤も、だいたい似たような反応になるので。 「仕事は佐藤に回したから、柚月には、後で一部始終の報告だけしてもらうぞ。少なくともこの男が弁護士じゃないのは、既に気付いているだろうがな」 「はい。色々とボロが出たので、時間の問題だとは思ってました」 「ナ、ナニが時間の問題なんだよ? オレは士業でメシ食ってるって言ってんだろ」 「ほう? なら貴様にチャンスをやろう。その弁護士記章(べんごしきしょう)に彫られた登録番号を、今ここで暗唱してみろ」 「え? 登録……番号?」  柳弁護士と名乗っていた男は、スーツのフラワーホール、要するに左エリの部分に留めてある、通称「弁護士バッジ」へ目を落とした。 「どうした? 遠慮せずに披露してもかまわんぞ。それとも貴様、(おのれ)の身分を示す登録番号を知らないとでも言うつもりか?」 「あ、いや、その。ちょっと下四ケタが思い出せませんで。確認のお時間をいただければ……」 「時間の無駄だ。行くぞ、柚月」 「は、はい!」 「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。わた、いや、当職はほんとに」  往生際の悪いやつだな。ここまで成りすましがバラされても尚、弁護士のフリを止めようとはしないんだから。  今度は名刺に書かれた法律事務所をネットで検索してやろうか? なんて考えていたら、課長が最後の鉄槌(てっつい)を下しにかかった。 「貴様も弁護士の真似事をするのなら、記章の模造品は大事にした方がいいぞ。金メッキが剥がれて、が丸見えになっている事にすら気付かんとはな」 「ヤバッ……って、あれ? あのー、どこも剥がれてないんですけど」  呆れた様子で応接室を出ようとした権藤課長は、男の返答を耳にするや、その振り返りざま、突き放すように吐き捨てた。 「間抜けめ。塀の中でせいぜい後悔しろ」  俺が慌てて課長の後を追い、応接室を出た次の瞬間、私服の刑事と警察官数名が、入れ替わりになる形で部屋へとなだれ込んだ。 「柳惠一(やなぎけいいち)! 弁護士法違反だ! 逮捕状に(のっと)って逮捕する!」 「あわわわ。ち、違うんだ! オレはあの女にそそのかされただけなんだよぉー!!」  ――後に聞いた話によると、応接室を囲むように、うちの社員たちによる野次馬が(つど)った時には、すでに逮捕時間の読み上げも終わっていたそうだ。  その野次馬が現場に近づきすぎないよう、簡易的なバリケードを張っていた守衛のおじさんたちの証言では、あいつは連行されるにあたり、後ろ手に手錠をかけられていたらしい。それだけ抵抗が激しかったんだろう。

ともだちにシェアしよう!