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54.完全決着(7)

    * 「すみません、課長。俺が変な女と付き合っていたばかりに、課長のお手を(わずら)わせる大事(おおごと)にまでなってしまって……」  警察の事情聴取から解放され、佐藤同伴で事のあらましを報告している間、課長は眉ひとつも動かさなかった。 「気にするな。私が行こうが行くまいが、警察が、あの青二才を逮捕するのは決まっていたんだからな」  え? どういう事だろう。確かに警察は、その青二才を捕まえる時に逮捕状を見せていたらしいが、あまりにも用意周到すぎやしないか?  まるであの男を、うちの会社で逮捕するのが決定事項だったかのようなスピード感だったけど、実は、その手引きをしたのが権藤課長だったと?  ……いや、まさかな。たぶんこっちの警察が、大阪府警と連携して内偵(ないてい)に当たっていたんだろう。そうじゃないと、課長が国家権力にまで影響力を持つ人になってしまう。 「警察が、お前の提出したICレコーダーの内容を精査すれば、奴に入れ知恵した黒幕の特定ができる。現時点でも見当はついているだろうが、まず、単独犯ではあるまい」 「そうなんですか? 僕はてっきり、あの女が指示したものだと――」 「買いかぶり過ぎだ。美人局(つつもたせ)の繰り返しで、一生遊んで暮らせると信じて疑わなかった(うす)らバカが、法律に通じていると思うか?」 「う、薄らバカ、ですか。確かに、あの女は余罪が積み重なって、今も留置所暮らしを続けているから、さっきの男に指示できる状態じゃないですね。だとしたら……」 「十中八九、あの女と関わりのある弁護士が手引きしとるんやろな。家族親族にも見放されとる以上、留置所へ面会に来る奴は絞られてくるやろうし」  未玲の逮捕を真っ先に教えてくれた佐藤は、自分の責任を感じたがゆえか、こうして課長への報告にも付き添っている。 「佐藤が言うように、いち弁護士が犯罪に加担したのなら、そいつも戒告程度では済まされんだろう。さっきの小僧を見れば分かるだろうが、は全部吐くぞ」  という課長の見立てに間違いはないと思う。弁護士に成りすました野郎は捕まる直前、「あの女にそそのかされた」って叫んでいた。つまり、自分の罪を少しでも軽くできるなら、誰の指示で動いたのかを白状する事すら(いと)わないってわけだ。  自白が時間の問題である以上、今回の逮捕劇によって、また未玲の罪が一つ暴露された事になる。ここまで来たら、もはや、執行猶予や刑罰の減免は見込めないだろう。 「佐藤。小僧の調べはついたか?」 「いえ。名刺の『久三郎法律事務所』はナンボ検索しても出なんだんですけど、柳久三郎(やなぎきゅうさぶろう)っちゅう名前で調べたら、弁護士会の名簿には載ってました。たぶん〝スマ弁〟なんやないかと」 「スマ弁? 神戸市の?」 「んなアホな。神戸市須磨区に住んどる弁護士の略称ちゃうねん。言うたら事務所を持たんで、スマホだけで依頼を受ける弁護士センセイの事や。昔はケー弁言われとったけど、そっちはほぼ絶滅種やな」 「へぇ。さっきのニセ弁護士と名字が一緒だな。親族の名前を借りたって話?」  俺の質問への明確な答えが得られなかったのか、佐藤は首を傾げて(うな)り始めた。名前を拝借して、ありもしない法律事務所をデッチ上げたのは確かだが、久三郎がどういう人物なのかが分からないらしい。 「まあいい。とにかく、今回の件は会社(ウチ)としても損害を被っているのだから、相応の責任は取らせんとな」 「責任? あのガキを民事で訴えはるんですか?」 「それは顧問弁護士との協議次第だ。犯罪の手引きをした主犯が柚月の元彼女なら、そいつを徹底的に潰すまでさ……」  声のトーンは一切変えず、眼光鋭く「未玲を潰す」と言い切る課長を見て、背筋がゾクッとした。俺に備わった本能が、「この人だけは絶対敵に回すな」と警告している。 「柚月、疲れただろう。今日はもう上がっていいぞ」 「え? でも、そもそもの原因は、俺の――」 「ここだけの話だが」  課長は、少し前かがみの姿勢でデスクに肘をつき、俺たちにしか聞こえない小声で話し始めた。 「小学校から電話が来てな。体調不良を訴えた柚月の子供を、養護教諭の判断で早退させたそうだ。家までは送り届けてもらっているから、後はお前が(そば)にいてやれ」 「ヨウゴキョウユ?」 「あれや。一般的に言う〝保健室の先生〟の事やねん。医師とはちゃうから、診療はでけへんのやけどな」  そうか。俺があのニセ弁護士の応対をしている間、スマートフォンを機内モードに切り替えていたから、里親の俺に直接電話ができなかったんだ。 「おそらく心因性の体調不良だと思うが、万が一を考慮して、いつでも医者に診せられる準備だけはしておけよ」 「無理もない話や。あのクソガキがこさえたニセの名刺をミオちゃんが見て、柚月が何をされるかと思うたら、気が気やあらへんかったんやろ。仕事はオレがやるから、早よ帰ってあげぇ」 「すみません。俺が独身なばかりに」 「そんな事を気に病む必要はない。あの女が会社を巻き込む騒ぎを起こした時点で、柚月だけの戦いじゃなくなったんだ。相手が誰であれ、私の部下を脅かす奴は全員潰す。二度と噛み付けなくなるまでにな……」  申し訳ない気持ちで頭を下げていた俺の横では、佐藤が青い顔で息を飲み、冷や汗をかいていた。課長の部下である限り、自分が潰される心配はないのに、こいつは一体何を恐れているんだ。

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