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54.完全決着(16)
「ミオ。血液検査、よく頑張ったね」
手を繋いで医院を出た俺たちは、今日の晩ご飯を調達するために、いつもの商店街へ寄って行く事にした。
「うん。お兄ちゃんがずっと手を握っててくれたから、ボク、痛いのガマンできたんだよ。大っきくて、温かいお兄ちゃんの手!」
「はは。血液検査は代わってあげられないから、あのくらいしか思いつかなくてね」
ミオの採血は、ごく一般的な部位である、肘の内側に針を刺して行われた。要は静脈から血液を採ったわけだが、その血管を専門用語で言い表すと、正中皮静脈 というそうだ。
ケース・バイ・ケースではあるという前提で申し述べるならば、大人は採血の際、針を刺された程度ではまず動じないし、悲鳴も上げない。しかし子供たちは、その針で血液を抜き取られる事に不慣れであるため、恐怖感を抱くのである。
そんな事情を踏まえた上で、看護師さんがミオの正中皮静脈に針を刺したのは、最も痛点、要するに感じる痛みを最小限に留められる箇所がそこだと知っていたからだ。
もっとも、これは採血だけに限った話ではない。できる限り、患者に痛い・辛い・苦しい……などの思いをさせないような工夫や技術を探し求めるのは、現代医療における永遠のテーマなのである。
「ねぇ知ってる? お兄ちゃん。手が温かい人は、心も温かいんだよー」
「そうなのかい? 俺が学生の時は、『手が温かい奴は心が冷たい』って、逆の事を言われてたもんだけどね」
「そんなことないよー。お兄ちゃんが冷たい人だったら、ボクの里親になるって思わなかったはずでしょ?」
「……うん、確かにそうかもな。施設の園長先生からミオの生い立ちを聞いて、情が湧いたってのもあるけど」
「あるけど?」
「俺の事をあんなに慕 って、甘えてきてくれた子はミオが初めてだったからさ。このまま帰っちゃいけない、この子を幸せにしてあげたい! って思いがどんどん強くなってね。そこから先は、もう脇目も振らなかったな」
その話を黙って聞いていたミオは、微笑 みながらうっすらと涙を浮かべ、「嬉しいな」とだけ呟いた。
手と心の温かさが比例するか、反比例するかは迷信の類だと思っているので、俺は学生時代の時から、真剣に議論をするつもりはなかった。
たかだか手の温度くらいで、その人が持つ優しさを判定できる世界なら、末端の冷え性に悩む人たちは、総じて温かい、もしくは冷たい心を持つ事になるだろう。そんな主張は極めて非科学的だから、議論するに値しない。
ただ、俺はミオが信じる事を頭から否定したりはしない。なぜなら大人げないからだ。
子供は子供なりに、クラスメート間で構築された情報網から、役に立つ、立たない、あるいは「そう信じたい」と思う迷信や都市伝説の取捨選択をしている。
ミオが言いたいのは、頭を撫でられたり、抱っこされたりする時に感じた俺の手の温もりが、心の優しさを裏付けている。たぶん、そんな意味合いの話なんじゃないだろうか。
「ねぇお兄ちゃん。他の子もボクみたいに、お医者さんに診てもらってるのかな?」
「たぶん。というか、ほぼ間違いなく診てもらっているだろうな。何しろ、救急車で運ばれた子も出たらしいから」
「みんな、大丈夫だといいけど……」
繋いだミオの手に、少しだけ力がこもる。救急車を呼ぶほど深刻な状態だった子らは、おそらく脱水症を経て熱中症にかかり、自発的な行動が取れなくなったのだと考えられる。
今回の事件がどこかで報道されてやしないかと思って、医院の待合室でテレビ番組をチェックしてはいたが、全国はおろか、地方局のニュースでも取り上げられなかった。
報道機関としても、取るに足りない問題――だとは思わないだろう。突然、小学校を訪れた謎のジジイが、児童らに無理を強いて、多くの子を体調不良に追い込んでしまったのだから。
この暴挙は、各報道機関が社会正義を振りかざすには絶好の……いや、これ以上考えるのはよそう。とてもじゃないが、発想がおぞましすぎる。
ただ、この事件が明るみに出たら、ミオたちの在籍するクラスを受け持つ担任教諭が、ほぼ確実にクビを飛ばされるのは想像に難くない。かつての恩師だからといって、教員免許も持たない老人に生徒の指導を丸投げして、左遷 で済むと思ったら大間違いだ。
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