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54.完全決着(25)
「知らないわ。そんな出来の悪い女の名前なんて」
「は? 知らない? 名刺くらいは貰ったんじゃないのか?」
「そんなの、いつまでも大事に持ってるわけないでしょ。〝宅下 げ〟したから、不要な物は全て、家に運ばせているの。残念だったわね」
はぁ。よくもまあ、言い逃れに使える理由をあれこれ隠し持ってるもんだな。その小ズルさを駆使して、日本全国で詐欺を重ねてきたんだろうが、俺にも通用するとでも思っているのかね。
宅下げとは、言わば差し入れの反対にあたる専門用語で、被疑者が留置所から不要なものを預け、表に持ち出す事を指す。その不要なものにはいくつかの決め事があるのだが、証拠の隠滅 に繋がるような物を持ち出すのは言うまでもなく不許可だ。
「そっか、宅下げしたんだ。じゃあ質問を変えよう。美人局 で逮捕された時、君はどこに住民票を残していたのかな?」
「住民票? そんなのあるわけないでしょ。わたしは日本を旅して回っていただけなのよ。処世術を楽しむ風来坊 が、定住する拠点を残すとでも思って?」
「なるほど。つまりホームレスだったんだ」
「フフッ、愚かな男。そうまでレトロな脳みそだから、ホームレスだとしか思い込めないのね」
「そうなんだよ。なにぶんにもレトロな脳みその持ち主だからさ、〝アドレスホッパー〟と呼んで欲しそうな、君の虚栄心にも気付けなくてね」
「……くっ、この甲斐性なしがァ」
どうやら未玲は、知識の差で優位に立ち、俺に恥をかかせ、散々罵倒するつもりだったようだ。「雑学の王様」とまで揶揄 された、この俺を相手に。
知識欲や知的探究心に溢 れるミオは、俺が披露した雑学をまじめに聞き、人生の糧としている。一方、知識よりも他人の金を湯水のごとく浪費する事に悦 びを覚え、付け焼き刃の悪知恵で立ち回ってきた未玲。
どちらを大切にしたいと思うのか、もはや決を採るまでもない。ミオの圧勝だ。
話は変わるが、未玲が主張したがっている「アドレスホッパー」に偽りがないなら、確かにホームレスとは明確に異なる。
アドレスホッパーはあえて定住せず、住処をコロコロと変えながら働くという、特殊な生き方である。従って、金銭的に苦しいわけではない。ノートパソコン一台と通信機器だけで仕事をしながら、居住地を転々と する、言わば放浪者のようなものだ。
かような生活を続けるアドレスホッパーは気楽な反面、ブチ当たる問題も当然ある。真っ先に立ちはだかるのが、「そのつど住処を見つけるのが面倒」あたりだろう。
と言っても、アドレスホッパーは毎日転居するわけではないゆえ、マンスリーマンションを借りれば、しばらくは安住の地として住まう事はできる。
ただ、そういう暮らしを続けていけるのは、バイタリティーが満ち溢れ続けているからこそだ。とてもじゃないが、足腰の悪い人やご高齢な人らが、そうやすやすと続けられる生き方ではない。
で、もう一つが住民票の問題。ここでボロを出せば話は早い。って事で突付いてみよう。
「未玲。さっき『住民票がない』と言ったな。それなら、宅下げした荷物はどこに保管してもらっているんだ?」
「それをアンタに教えても意味ないでしょ。ミジンコ程の脳みそで知恵を絞って、探偵ごっこでもしているつもり?」
こりゃ、弁護士も手を焼くわけだ。自分が何をして留置所にいるのか、分かっていてこれなのか? 何ら情報を引き出せなかったが、口の悪さに限っては、全くキレが落ちていない事だけは分かった。
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