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55.事後処理(11)

「もしかして、お手紙で送ったのが良くなかったの?」 「いやぁ、さすがにそのセンは無いんじゃないかな。お互いの連絡先を交換するなら、文字にして残した方が確実じゃん?」 「そだね。レニユニくんとはこれからも、たくさんお手紙を交換するかもだもんね」  双子の兄、レニィくんと弟のユニィくん。あの子たちを、ミオは今しがた、「レニユニ」と引っくるめて呼んだが、なかなかいい略称だと思う。ショタっ娘のアイドルユニットみたいだし。 「まあ何だ。俺たちが、レニユニくんに手紙を送ったのも、連絡先の紙をもらった一ヶ月後くらいだったし。案外、文通ってそんなもんじゃないか?」 「ブンツー?」  よほど耳慣れない言葉だったのか、文通に疑問を抱いたミオが、首を傾げて聞き返してきた。 「そう、文通。お互いの近況や楽しかった出来事なんかを手紙にしたためて、相手とやり取りする、親交の深め方だな。フミという漢字を音読みしたら〝(ぶん)〟になるから、文字を使うわけだね」 「なるほどー」 「で、〝通〟は通信の通だから、手紙を入れ、切手を貼った封筒をポストに投函すると、その手紙はたちまち郵便物になる」 「うんうん。切手の裏側を濡らして、溶けた糊で貼るんだよね」 「そうだね。俺がガキの頃は切手の裏を舐めて貼っ付けてたもんだが、今はまぁ、そんなに急くこともないしな」  ミオが新しい雑学を吸収する時、途中で疑問に感じた事は、本題そっちのけすぐに尋ねるケースがしばしばある。耳慣れない単語や(ことわざ)を聞き流し、そのせいで理解できなかったら、結局何を教わったのか分からない。  というのがミオの談。似たような考え方を持つ人物だと、発明王、トーマス・エジソンあたりだろうか。彼も学生の頃、「そもそも、なぜチョウは飛べるの?」という生物の構造と原理にまつわる質問をぶつけ、教師を大層困らせたそうだ。  チョウは空を飛んで花の蜜を吸い、猫は狭いところを好み、ヒマワリは必ず太陽の方を向いて咲く。  ただ、その原理をすっ飛ばして、「チョウは空を飛べます」という一言だけで授業を進められても、その密を吸う花にたどり着くための仕組みや解説をこそ知りたいじゃん? と思うのは、ごく自然な知識欲ではないだろうか。  その知識欲を満たすべく、研究や観察によって謎を明らかにするのが各種専門学である。とはいえ、畑違いの分野に深入りして解明する事は難しい。なぜなら、その畑違いの分野も、つまるところは別の専門学なのだから。  そのため、俺はあらゆる分野の文献を読み漁り、博物館や美術館へ足繁(あししげ)く通い、年長者の方から伺った話のメモを取り続けた。ネットで対極する意見に対しても、双方の見解を第三者の視点で調べ上げ、裏を取る。その繰り返しで身につけた知識こそが、俺が最も得意とする「雑学」だった。  今回にしても、「どうして〝信〟はお手紙の事を指すの?」と聞かれても、何ら動揺する不安もなく、ミオが納得できる説明を(たくわえ)えていた。  ミオが学ぶ上で「なぜ?」、「どうして?」と疑問を抱くのは、至極健全な知的探究心である。そこで「さぁ?」と流して取り合おうとしなかったら、この子は二度と俺に教えを請うたりはしないだろう。  なぜなら、「さぁ?」と答えるような奴が、「いやぁゴメン、知らなかったよ。今度調べておくね」などと翻意(ほんい)するわけがないからである。

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