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番外:柚月義弘の調査ノート 1枚目

『児童への走り込みの強制で、熱中症・脱水症・貧血などの健康被害を招いた元凶の元教諭、磯谷徹(いそたにとおる)氏への処分について』  ミオが在籍する四年生クラスの担任教諭を勤めていた、磯谷氏のクビに関する正式なアナウンスは「諭旨免職」である。  諭旨免職は懲戒免職よりも軽い処分で、建前では「そろそろ、組織のために身ぃ引いてくれへんかな」ってな肩たたき(難しく言うと「退職勧奨(たいしょくかんしょう)」になる)を受け入れた、「自己都合退職」扱いになる。  つまり磯谷氏は、学校からの退職勧告に従い教職員を辞めはするものの、再就職先を探す折に作成する履歴書には、「一身上の都合による退職」と書いても何らお咎めがない。  バカ正直に、経歴欄に「◯◯学校から諭旨解雇の処分を言い渡され、一身上の都合により退職」なんて書いても、面接の担当者はギョッとするだけだ。それだけ、「免職」という言葉の持つ意味は重い。  かつて、自らの過失で諭旨免職の処分を受けた公務員が、退職金を満額を貰うらしいと耳にした市民から猛抗議を受けた事がある。  その抗議の理由は「免職はクビと同じだろう。クビにされるほど悪事を働いた奴に、退職金を支給するとは何事だ!」といったものが多い。その批判を避けるためか、雇用する側が、次のように表現を変える場合があるそうだ。 「先日、聞き取り調査を終え、教職員◯◯による複数件のパワハラ行為は事実と認定いたしました。よって本日、◯◯には×ヶ月の停職とする処分を言い渡しましたところ、〇〇は前述の停職処分を重く受け止め、自ら依願退職を申し出――」  てな感じで、諭旨免職の名を隠す手立ては用意されている。依願だろうが自主的だろうが、「自己都合退職」という辞め方にさえ変わりなければ、確かに「免職」を含んだ言葉で処分する必要はない。  もっとも、全部が全部を依願退職扱いにしていたら、諭旨免職がただのお飾りになる。「普通の退職っしょ? 余裕余裕」などとタカを(くく)っていると、そのうち泣きを見るだろう。表向きの会見が批判逃れであっても、組織からは「君はもう要らないよ」という烙印(らくいん)を押されているのだから。  そもそも処分に段階を持たせたのは法律であり、「諭旨免職つっても強制的に辞めさせられないじゃん」のような誤解を招くのは、「諭旨(ゆし)」という言葉の意味が今ひとつ浸透していないのだろう。それだけ、懲戒免職(ちょうかいめんしょく)のインパクトが強すぎるんだとも言える。  今回の事件で、磯谷氏は学校側に何も報告せずに、全くの部外者に、校内へ招く約束を交わし、固く施錠された校門の鍵を無断で持ち出した挙げ句、自分一人の判断で校門の鍵を開け、部外者を学校に侵入させた。  これだけの行動を振り返っても、磯谷氏は実に四つもの過ちを犯している。その結果、彼は一時的ではあるが、全校生徒や教職員を危険な目に晒す事になった。  磯谷氏の問題行動は学校としても、俺たち保護者にとっても到底看過できるものではない。かつて起こった、あの忌まわしい事件を教訓としているからこその施錠だったのに。  事件のあらましを把握した学校側は、懲戒免職を言い渡す事も考慮したそうだ。ただ、自分が受け持つ教え子が次々と救急車で搬送されて行く様を見て、深く反省していたのも分かっている。  とはいえ、事件の性質が性質だから、磯谷氏を学校に残す選択はハナから残されていなかった。なので学校側は、彼に筆記用具と退職届の紙を渡し、「分かっているだろう? 書きなさい」とだけ言ったという。  ……これが、磯谷氏に諭旨免職の処分が下され、学校を追われるまでの一部始終だ。磯谷氏は自分なりに、何らかのひらめきを得たのかも知れないが、全くの裏目になった。同じく問題を起こした野球部の監督も、彼にチームプレーの大切さを教える事ができなかったようだ。

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