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55.事後処理(25)

 T字カミソリの品質に補足すると、例えばホテルのアメニティとして置いてあるものは、言わば「使い捨て」である。無料だったり、十円という破格で無人販売されたりするのだが、品質はピンキリだ。 「銭湯みたいな大衆浴場が多くあった時代は、あの鏡を見ながら歯を磨くおじさんがいたそうだよ」 「えー? お風呂場で歯磨きするの?」 「うん。するんだと聞いたよ。佐藤がまだ大阪にいた頃の話でね、そのおじさんはヒゲを剃った後、家から持ってきた歯磨きセットでガシガシ磨いてたらしい」 「いろんな人がいるんだねー。ボクも大きくなったら、ホテルのカミソリでおヒゲを剃ることになるのかな?」 「さぁー。根拠はともかくとして、ミオはたぶん、ヒゲは生えてこないんじゃない?」 「んん? どして?」 「言わば、俺の願望……かな」  希望的観測、と言った方がより正確な表現かも知れない。いずれにしても、ミオにはヒゲだの脇毛だのといった体毛とは無縁であって欲しい。  ただ、世界はなにぶん広いもので、俺とは正反対な願望を持つ人もいる。たとえば、ヒゲやら体毛やらがモッサモサで、筋骨隆々な男性しか好きにならない(ひと)もいるだろう。ゆえに恋愛対象は千差万別なのだ。 「え、お願いごとなんだ? ボク、お兄ちゃんが大好きだから何でもするけど、おヒゲが生えるのだけは止められないよー」 「はは、ごめんごめん。ところで、クラスメートの男の子たちから、そんな話を聞いたりはしないの?」 「うーん。男の子たちがするのは、ゲームとかアニメのお話ばっかりだよ。だって、皆もボクと同じだもん」 「ふむふむ。つまりクラスメートの男子生徒たちは、まだまだヒゲやら脇毛やらが生えていないと?」  俺の問いに、ミオは何の躊躇(ちゅうちょ)もなく頷いた。おそらく、男子はプールでの水泳授業で半裸になるから、脇毛が生えていたら真っ先に珍しがられるんだろう。  サラッと同級生男子のムダ毛事情を明かしてくれたのは、決してミオの口が軽いからではない。俺なら絶対に口外しない、という確信を持っているからだ。  とはいえ、さすがに「じゃあ女の子たちは?」とは聞けなかった。あまりにもデリカシーがなさすぎるし、俺はそこいらにいる、無節操なスケベオヤジでもない。 「ただ、想像つかないんだよな。こんなに綺麗な青髪を持つ男の子にさ、青いヒゲが生えるイメージが湧かないじゃん?」  そう話しながら、手の甲でミオの頬を撫でていると、幸せそうに首を傾けてきた。もっとナデナデして! と、おねだりしているようだ。  かつては「不可能」という花言葉が付けられ、不可能の代名詞も「青いバラ」だった時代がある。近年までは、赤いバラをいくら品種改良しても、花びらが青くならなかったからだ。  人間もバラと同様に、青い髪の毛をもって生まれてきた例がなかった。だが、この子は、その「不可能」をあっさり現実のものにしている。人体って不思議だよなぁ。この髪色が遺伝によるものだったらと思うと……。  おねだりに応える形で、ミオの頬をナデナデしていると、本日二度目のインターホンが鳴った。どうやら郵便局の配達員さんが、書留郵便(かきとめゆうびん)を届けに来たらしい。

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