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58.いざ大阪(7)

「……不思議ですね。自分が分からなくなりました」 「え? どうなさったんですか、柚月さん?」 「実を言うと、僕とミオが恋人同士だって話は、実家の両親にしか打ち明けていないんです。今日のご挨拶と立会でも、東条会長はもちろん、京堂さんにも話すつもりはなくて」  柄にもなく多弁だからか、あるいは緊張しているがゆえか、近年まれに見ない口の渇きで粘膜が張り付き、だんだん声がかすれてきた。  その異変を察した京堂さんから、改めてグラスに注いだお茶を手渡してもらい、一口含んで、喉のあたりに染み渡らせてみる。  よく冷えたほうじ茶は、当然液体であるから、口の中を潤わせる即効性がある。ただ、渇き自体を防ぐためなら、のど飴くらいは用意すべきだったかなぁ。 「何しろ、同性愛と少年愛でミオと交際しているんです。里親という立場だというのに、『その立場をダシにして、我欲の(おもむ)くままに少年を虐待している』と思われても――」 「それでも、私には全てをお話してくださったんでしょう? 里親として、恋人としてミオさんを愛している事に後ろめたさがないからこそ、誰かに聞いてほしかったのではないんですか?」 「そうかも知れません。だとしても、商談としてお伺いした会長のお宅で、こんな公私混同を……」 「柚月さん。今はオフレコですよ!」  京堂さんは俺の両手を握り、優しく微笑みながら、今が何の時間なのかを思い出させてくれた。 「お話を逸らしちゃったのは私のせいだから、今度は私がお話ししますね。柚月さんが推理した事の答え合わせを!」 「というと、ご依頼にかかわるお話ですか?」 「ハイ! お察しの通り、このお仕事を柚月さんにお願いした理由は、大阪府警のお偉方(えらがた)が噛んでいるんです」  やっぱりか!  関西で指折りの実力者が、豪邸の庭を大改造する。これ自体は何らおかしい事ではない。自由に使えるお金があるのならば、自らの願望に従って増改築へ投資するのは、至って普通の事だ。  ただ今回の場合、大阪支店をすっ飛ばして、本社で働く俺を指名した事には自由意思が無い。なぜなら、東条会長が大阪府警に泣きつかれたからだ。  大阪府警が危機に陥ったのは、留置所にいる元カノに、スマートフォンを貸与した、だけの話にとどまらない。その元カノは俺を脅し、刑罰を(ゆる)めるための情状証人になる事を迫ったのである。  そもそも留置担当官とみられる人物が、留置所で刑事裁判を待つ容疑者に便宜(べんぎ)を図り、スマートフォンを貸すなどあり得ない話だ。  法に(のっと)って罪を戒める立場の人間だからこそ、俺たちのような庶民の(かがみ)として、規範を守って欲しいのである。  しかるに、一時の誘惑に(おぼ)れ、イリーガルな手を使っておきながら「容疑者に手を貸した留置担当官だけお咎めなし」では、さすがにスジが通らない。だからこそ、俺は元カノとの通話内容を録音して音声ファイル化し、着信番号を添えて大阪府警本部に送りつけたのだ。 「それが決定打になっちゃったんでしょうねー。問題のスマートフォンを貸した人の正体が、全く想定外な大物だというのが分かった途端、府警本部がたちまち色めきだってしまったんですよ」  はい? 何だか事前に聞いていた話とちょっと違うな。一体誰なんだ? 「全く想定外な大物」って……。

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