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58.いざ大阪(8)
「ほぇ? なぁに? その『フクホンブチョー』って。どこかの王様?」
「お、王様ではないかな。確かに、あんまり聞き慣れない名前ではあるけどね」
「ふーん、そうなんだ。ねねね、お帰りなさいの抱っこしてもいーい?」
「もちろんいいよ。ほら、おいで」
初日の挨拶と打ち合わせが終わり、ホテルの託児ルームで落ち合った俺とミオは、早々にチェックインを済ませ、ツインの客室でくつろいでいた。
俺たちが大阪へ来たのは仕事のためなのだが、何しろ、支払われる報酬が莫大すぎる。
ゆえに、どのような経緯で俺を指名するに至ったのかを聞き出すのは、我が社の代表として訪れた営業マンであり、いち個人の俺として最重要課題だったのである。
それを今しがた、ミオにうっかり漏らしてしまったのだが、当の本人は俺の太ももにまたがり、抱きついて甘え続けている。
たぶんミオは、「フクホンブチョー」が何かの呪文か、外国人の名前だと認識したゆえに、取り立てて聞き直すほどではないと踏んだのだろう。
「最近この甘え方好きだね、ミオ」
「うん。お兄ちゃんがソファーとかベッドに座ってるときは、こうして甘えるのが好きになっちゃったんだよ」
そんな甘えんぼうさんが付け加えて言うには、この抱きつき方で、俺の胸板に耳をあてがうと、シャツの上からでも心臓の音がよく聴こえるらしい。
どこかで耳にした程度の話だから、なにぶんにも記憶が曖昧 なんだが、人は心音を聞くことで、心が休まるんだそうだ。
その原理こそ明らかになっていないものの、実際にこうして、ミオが落ち着いていられるのも、彼氏である俺の鼓動が耳に届いているからなのだろう。
「そっか。ま、フクホンブチョーの話は置いとくとして、風呂に入ったら、晩ご飯を食べに行こっか」
「行く行くー! ねね、お風呂は大きいお風呂?」
「どうだろ? 名前が大浴場だから、たぶんホテルの広さに収まるくらいはあるんじゃないかな」
「なるほどー。泡の出るお風呂があるといいなぁ」
ミオが今言った「泡の出るお風呂」とは、要するにジェットバスの事である。
この話は、夏休みに休暇を取って、二人でリゾートホテルへ遊びに行った七月下旬に遡 る。生まれて初めて訪れた大浴場は、ミオにとっては驚きの連続だった。その中で、最も衝撃を受けた浴槽こそがジェットバスだったらしいのだ。
余談だが、今回の大阪出張における裏目的は、「ミオとの大阪デート」である。
なので俺は検討に検討を重ね、最も交通の便が良く、託児サービスも兼ね、近所にうまいメシを食わせてくれる店があるホテルを選定したという自負はある。一応。
……ただ。今しがた、ひとっ風呂浴びてきた俺たちの感想としては、一応ジェットバス自体は存在したものの、肝心要 な泡の出力が今ひとつだったので、ミオの期待に応えられたとは言い難い。
そのお詫びってワケでもないが、せめて、おいしい晩ご飯を奮発して食わせてあげよう。大阪は名物料理がいろいろあると聞くし、我が家の子猫ちゃんはお魚大好きっ子だから、大阪ならではの魚料理を堪能できればいいなぁ。
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