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58.いざ大阪(18)

 フグ食が話題に上がる際、必ずと言っていいほどフグ毒、(すなわ)ちテトロドトキシンに行き着く。なぜなら、その毒があまりにも強すぎて、数多くの犠牲者を出してきたからだ。  一説では、フグが体内にテトロドトキシンを溜め込むようになったのは、推定だが数千万年くらい前からだと言われる。日本では、およそ一万年前の縄文時代から、フグとみられる魚の骨が貝塚などから出土されており、国内最古のフグ食として注目を集めた。  しかし、縄文人に食われたフグで手がかりとなるものは、貝塚や遺跡などから出土された骨でしかない。その骨から毒を検出するのはおそらく不可能だろう。にもかかわらず、「当時のフグは無毒だから、縄文人は平気で食べられたはずだ」などといった、過去への希望的観測に思いを馳せた自説を時おり目にするのだが、俺は賛同しかねる。  なぜなら、無毒のフグは「ただの魚」であるため、海中に棲む捕食者らにエサとして食らい尽くされ、おそらくは絶滅の一途を辿ったはずである。そんな脆弱(ぜいじゃく)な魚が今日まで、種の生存競争を勝ち抜き、青酸カリの約千倍にも及ぶ毒でもって自衛できるはずがない。  俺たちが今食べているトラフグとて、決して無毒だったから食べられているのではない。はるか昔に毒を蓄え進化してきたとはいえ、フグの調理師免許を持った板前さんが慎重に処理しているからこそ、トラフグ料理の安心・安全が担保されているのである。 「ねぇお兄ちゃん。トラフグの毒がある部分ってどこなの?」 「うーん。説明が難しいんだけど、トラフグに限った話なら、さっき教えたメスの〝赤ちゃんを作る部分〟に毒があるのは間違いないとして」 「ふむふむー?」 「他は(キモ)、つまり肝臓だな。昔はこの肝が美味だって理由から、昔は我が身の安全も(かえり)みずに食べちまう人が多かったんだよ」 「えー? それって、『死んでもいいから食べたい』ってお話でしょ。ボクはやだなぁ」  ――命をフイにしてもいいから、美味なフグ肝を毒ごと食いたい!  ちと大げさかも知れないが、それを実行に移して死んでいった人間が多く存在するからこそ、豊臣秀吉はフグを食うなとお触れを出したのだ。そもそも、戦を控えた兵士たちが、出陣前にフグ毒のせいで命を落としたななんて、何の(ほま)れにもならない。  そんな命知らずの心理によほど共感できなかったのだろう。ミオは首を傾げつつ、トラフグ唐揚げのレタス巻きをうまそうに食べている。 「ミオの考え方が正しいんだよ、本来はさ。フグ調理の練習がてら、取り除いた肝をこっそり食べて亡くなった例まであるんだから、どうにも理解しがたいよね」  唐揚げをモシャモシャと頬張りながら、二、三回頷いたミオを見るに、やはりこの子はお利口さんだと思う。  やれ「スリルを味わうため」とか、「刺激を楽しむため」などと言い訳を並べ立てたところで、フグの肝から毒は消えない。中毒死で異世界に転生したいと思っているなら、そいつは殴ってでも止めるべきだ。 「他は、まぁ何だ。食べられる部分を挙げたほうが早いな。トラフグの場合は皮と筋肉、白子だね」 「え? それだけ!?」 「うん、それだけ。季節によっては、筋肉にも毒を持つとか不確定な情報はあるけど、養殖のトラフグなら一年通して食べられるんだってさ」 「あー……そうだよね。ながーい間、お店が休みになっちゃったら困るもんね」  先ほどから、ミオが幸せそうに味わっているトラフグの唐揚げは、食べられる部分の筋肉である。下味のかぼすと、揚げた油が香ばしくって、これがまた食欲をそそるんだ。  この唐揚げをおかずにして、トラフグの炊き込みご飯をかき込む。ああ、何と贅沢で至福なひと時だろうか!  ちなみにトラフグはヒレも無毒であり、飲み食いに活用できる。明日があるからアルコールは控えるが、焼きヒレをつまみに、ヒレ酒をたしなむのもいいだろう。 「まま、フグ毒の話はこの辺でいいじゃん。次は焼きフグちゃんがお待ちかねだぜ」 「焼きフグちゃん……!」  まだ見ぬ、未知のトラフグ料理を耳にしたミオは、深みのあるブルーの瞳を輝かせ始めた。普段は少食なショタっ娘ちゃんも、まだまだお腹には余裕があるようだ。

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