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59.商談二日目前夜(3)
「ねね、お兄ちゃん。明日もここにお泊りするんでしょ?」
「うん。予定では今日も含めて三連泊する事になってるんだ。明日は朝から、ずっとお部屋にいていいからね」
「へ? いいの? ボクがいたら、お部屋の掃除とかでジャマにならない?」
「大丈夫だよ。ミオがお昼ご飯を食べに行ってる間に、部屋の掃除とベッドメイクを済ませてもらうように話をつけたから」
相変わらず、苦手な横文字の「ベッドメイク」が何なのかはよく分からない様子だったが、自分が昼食を取りに行く間、一時的にここを空き部屋にする事の意味は、何となく理解したようである。
「ご飯を食べに行くときは、フロントのおじさんにお部屋の鍵を渡して、昼食券を……あれ?」
「ん? どしたの? お兄ちゃん」
「何か、窓の外からパラパラって音が聞こえてくるんだ。これって雨じゃないか?」
「そうだよ。ボク、テレビで天気予報を見てたけど、明日の大阪は、朝から土砂降りだってー」
「なぬ!? 全然気が付かなかったなぁ。明日まで降り続くなら、庭を見て回れないんじゃないか……?」
体を起こし、恨めしそうに窓を打ち付ける雨粒を見ていると、ミオも後にならった。こういう場合はどうするんだろう? 施主の東条会長はどうせ多忙で在宅しないだろうし、また明日も、美人秘書の京堂 さんと打ち合わせするだけに終わるのか?
「ねぇねぇお兄ちゃん」
「ん? 何だい?」
「魚釣りって、雨の日でもやる人いるの?」
これだけ聞くと、何ら脈絡のない質問のようではある。が、東条会長が魚釣りにかかる事業で大成功を収めた人なので、関西エリアの全店舗では、釣り人のための必需品を網羅している。
こと魚釣りでは、天性の才能を発揮する子猫ちゃんだからこそ、突然の雨にも対抗しうるグッズの有無を知りたいのだろう。
「まぁ、あるにはあるよ。レインウェアっつって、カッパとはまた違う防水服なんだけど、とっさの雨で着替えるというより、雨の日だと分かった上で着ていく感じだね」
「んんー? それって、雨の日だから釣れる魚がいるってお話?」
「いやぁ、俺はそういうのに詳しくないんだけど、例えば人気のある釣り船とかだと、あらかじめ予約しとかないと乗れないんだよ」
「ふむふむ」
「でも、予約した日が運悪く雨だったら?」
「れいんうぇあを着ていく!」
ミオはそう答えるや、タオルケットを手に取り、頭から被ってみせた。その着方じゃポンチョになっちまうんだが、無邪気でかわいいから問題なし。
「そういう事だな。さすがに雨風の強い日は海が大シケになるから、船は出さないだろうけどね」
ちなみに雨は基本的に真水であるため、海の塩分を薄めてしまう。また、川が増水して海に淡水が流れると、やはり塩分濃度が薄まる。この水っぽさを嫌うのがイカで、水潮と化した雨天の翌日なんかは、沖合に離れていくからとにかく釣れない。
「ただ、汽水域 といってね。淡水と海水が混じったような水質でも生活できる魚なんかは、雨に影響なく釣れたりするんだよ」
「なるほどー。お魚さんにもいろいろあるんだね」
予想外の雨によって、釣りにまつわる話に発展したのはいい事だが、さすがに明日の立会は無理っぽいなぁ。こんな調子で、ほんとに三日間で商談がまとまるのかな。
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