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61.中期滞在(3)
「ねぇお兄ちゃん。そのカセ釣りで、今は何が釣れるの?」
「チラッと聞いた話だけど、だいたい今頃は、真鯛がよく釣れるらしいな。それもデッカイのが。他はシマアジとかイサギだろ。あと、メジロあたりは夢があるよな」
メジロとは、出世魚として有名なブリに成長するまでの名前だ。主に関西地方ではメジロの呼び名が使われ、関東では一般的にワラサの名で通る。
お魚が大好きなウチの子猫ちゃんは、ほぼ毎日、穴が空くほどお魚図鑑に目を通しているので、このくらいは既に知っているに違いない。
「そんなにたくさん釣れたら楽しいよねー。それに、シマアジって凄くおいしいらしいよ」
「シマアジが? 真鯛よりも?」
「そーだよ。昔はイマメの島でよく釣れてたから、『島アジ』って名前がついたんだって」
「イマメ? あぁ、伊豆 の事か。その島ってのはたぶん、伊豆諸島を指してるんだろうな」
発音した自分自身も何かの違和感を抱いていたのか、ミオは、より一層顔を明るくして頷いた。この子がよく読んでいるお魚図鑑では、いかに魚の和名をフォローしても、地名に読み仮名を振るまでの配慮は行き及んでいなかったのだろう。
ま、別に学校の授業じゃないんだし、大人でも知らない地名なんて山ほどあるんだから、何も恥じなくていいさ。そのつど、俺が寄り添って教えてあげれば済む話なんだし。
「で。普通のアジとは何が違うんだい?」
「大きさが違うの。シマアジはタテに大きいんだよー」
そう言ってミオは、上下に広げた両手の距離感で、シマアジの大きさを説明してみせた。察するに、この子が言う「タテ」というのは、おそらく体高の事を指しているんだな。
「大きさかぁ。だったら豆アジみたいに、簡単なサビキの仕掛けで釣り上げるのは難しそうだね」
「うんうん。長ーいのは一メートルくらいあるっぽいし、ボクの力じゃ無理かも」
「はは、力の方は大丈夫だよ。俺が後ろに立って、ミオを支えてあげるから」
仕掛けの合わなさはともかく、力や技術が及ばずに大物釣りを諦めさせるのは、夢を潰す事に等しい。だからこそ、俺は「シマアジを釣りたいなら、いつでもサポートするよ」という意味で、ミオに向けて手を差し伸ばしたのである。
そのジェスチャーが正しく通じたか否かは分からないが、ミオは俺の手を優しく包んで持ち上げ、愛おしそうに頬ずりし始めた。ミオのこういうところが、無警戒で甘えんぼうな子猫のように見えてかわいい。
ここ大阪じゃあ、学級閉鎖で散り散りになったクラスメートの子たちとも遊べないから、積もるさみしさもあるだろう。こういう時こそ、ミオの彼氏である俺が、めいっぱい甘えさせてあげないとな。
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