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61.中期滞在(8)

 ――やはりと言うか案の定というか、この大雨で外出を控える宿泊客は相当いたらしい。ルームサービスを受け取った時に聞いた話では、和洋中それぞれの料理に注文が殺到していたため、フロントも大わらわだったのだそうだ。  (ことわざ)で言うところの「猫の手も借りたい」とは、まさにそのような状況を指すのだろう。 「ふぃー、ギリギリセーフだったよ」 「え? それってお寿司が?」 「うん。お寿司屋さんも、まさかこんなに多くの出前注文を受けるとは思ってなかったらしくてね。俺たちが頼んだ盛り合わせのお寿司は、危うく売り切れ寸前だったらしいぜ」 「そうなんだ。皆、お寿司が好きなんだねー」 「まぁ日本人のソウルフー……馴染みが深い料理だからな。江戸時代から受け継がれてきた知恵と技術が、お寿司の安全性を守り続けてるってわけさ」  寿司の源流を辿(たど)ると、広く普及した奈良時代まで(さかのぼ)る。いわゆる「なれずし」と呼ばれるものがそうなのだが、現代の握り寿司とは異なり、シャリ(白米)はもっぱらネタを漬け込むべく発酵させるのだ。なので「なれずし」の誕生当時は、ネタと一緒にシャリを食する習慣は無かったらしい。 「いただきまーす! じゃあお兄ちゃん、ナラ時代のお寿司屋さんは、何の魚をナレズシのネタにしてたの?」 「海の魚ならサバが有名だな。冷蔵庫もクーラーボックスも無かった時代は、ながーく保存するために、ネタに塩をまぶして漬け込むんだよ。塩には殺菌効果もあるからね」 「へぇー。ご飯なしで食べてたんだぁ」  ミオは奈良時代に思いを馳せているのか、食べる直前の握り寿司を、いろんな角度から観察している。およそ行儀が良いとは言えないが、今日に限っては俺の雑学が引き金になったのだから、このくらいは目をつぶっておこう。 「ただ、むき出しのまま運んでしまったら、さすがに日持ちはしないし痛むから、後には柿の葉っぱに包んで運んでいたらしいよ。今も作られている柿の葉寿司の目的とするところは、要するに長期保存の手段だったわけだな」 「そうなの? 柿の葉っぱから、何かオイシイものが出たりするのかなーって思ってたけど、日にちを持たせるためなんだね」 「何しろ売り物だからなぁ。奈良みたいに海が無い地方の人らには、海魚のなれずしは大変なごちそうだったと聞くし。車もバイクもない時代じゃあ、残る手段は長持ちさせるしかなかったのさ」 「だから柿の葉? 他の葉っぱじゃダメなの?」 「ダメってことはないんだろうけど。昔の人も色々試してみて、最適なのは柿の葉だって結論に落ち着いたんじゃないか? 何しろ柿の葉に含まれてるタンニンが、ネタの魚臭さを抑えてくれたそうだし」 「不思議だねー。柿の葉に辿り着くまで、何回も実験とか繰り返したっぽいのは想像できるけど、理屈は分かってたのかな?」  ミオが新たな疑問を抱き、首を傾げる。こんな感じで、知識欲が湧いてくるのはとてもいい事だ。 「柿の葉には防臭効果がある」だけで納得するのなら、それはそれで構わない。明日にも使えるトリビア(雑学的知識)にはなるだろう。  だが、そこから更に踏み込んで、「なぜ柿の葉には防臭効果があるのか?」を知りたくなるのは、専門学とまでは行かないが、トリビアよりも深い、の領分なのである。  明確な線引きこそ難しいが、少なくともトリビアと雑学のどちらが有益か、いずれも無駄かを決めるのは、世論による合意(コンセンサス)ではない。  およそ倫理に反しないのであれば、何を学ぼうが学ぶまいが、個々人による自由意志を尊重するべきだ。ミオが万が一、「暗殺術を学びたい」とか言い出したら、そりゃあ体を張ってでも止めるけどさ。

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