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61.中期滞在(11)

「ごはん屋さんですか? どれがお嬢さんのお口に合うか分からないけど、このあたりは、有名チェーン店やら、個人経営やらの定食屋さんがひしめいてますよ」 「へえ? そんなにあるんですか? 車で案内される間は、全く気が付かなかったなぁ」 「うんうん。ボクも気付かなかったよー」  もっともミオの場合、同じ後部座席で俺の腕に抱きついて甘え倒していたから、そもそも視線が窓の外に向いていなかっただけなんだが。  というかこの子、もう「お嬢さん」と間違えられても全く動じなくなってきたな。初対面の人がほぼ百パーセント、ミオの性別をハズし続けてきたせいか、今や諦めの境地に達しているのかも知れない。 「でも、意外ですね。コンビニは窓越しからでも見えてましたけど、まさか、メシ屋さんまでがひしめいていたとは……」 「まぁ『機を見るに(びん)』というか、彼らも嗅覚が鋭いんでしょうな。単身赴任のお父様方が仮住まいを探すにあたり、第一選択になるのがここですから」  不動産屋さんはそう言って、部屋の床を指差した。 「ああ、なるほど。たとえキッチンがあっても、というわけですね」 「んー? どゆこと?」  イマイチ事情が把握できていないミオは、俺たち大人を見上げ、表情を交互に見比べている。会話の内容がいささか専門的だったのか、周辺にメシ屋が多い理由が分かっていない様子だ。 「俺みたいに、料理が得意じゃない人は外食に行ったり、コンビニとかででお弁当を買ってきたりするのさ。その時、近くにお店があったら助かるだろ?」 「そーだね。じゃあ、このマンションに合わせて、ごはん屋さんがお店を増やしたってこと?」 「ご名答ですよ。たまに、シェフ顔負けな腕前を持つお父さんがお住まいになりますけど、それにしたって食材ありきですから」  あえて全部を語らなかったが、要するに、このマンションに住まう客からの需要を見越して、自炊できる人のためのスーパーもあるよ、という話なのだろう。 「どう? ミオ。ここに決めちゃおっか?」 「うん。お兄ちゃんと同じベッドで寝られるから、ここがいいー」  はは。「鶴のひと声」ならぬ、「子猫のひと鳴き」だな。もっとも、俺たちの要望が全部通りそうな物件なんて他にないから、実質、唯一の選択肢ではあるんだけども。 「じゃあ、ここで決めちゃいます。入居はいつからできそうですか?」 「ウチの事務所で契約書の作成が終われば、本日すぐにでも可能ですよ。でもまぁ、お嬢さんもお気に召してくださったようですし、お荷物はもう、こちらに置いたままお越しくださっても――」  という不動産屋さんの好意に甘え、身軽な状態で契約書をこしらえてもらった俺たちは、早速、マンションの周辺を散策することにした。いわゆる「街ブラ」ってやつだ。 「良かったね、ミオ。ダブルベッドの費用をタダにしてもらえて」 「うーん。確かに良かったけど、どうしてタダにしてくれたの?」 「あの不動産屋さんは、お茶汲みのおばさんが社長でね。ウサちゃんを抱っこするミオを見た途端、すっかり魅了されちまったらしいよ。要するに、カワイイは無敵ってことだな」 「ミリョウ? よく分かんないなー。じゃあ、お兄ちゃんがウサちゃんを抱っこしてたら?」 「……それ見て喜んでくれるのはミオだけだよ」

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