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61.中期滞在(25)

 猫のポーズ? おあつらえ向きじゃないか。ウチの子猫系ショタっ娘ちゃんが、猫のような姿勢を維持する事なんか朝飯前だぜ。  それはそれとして、オンライン体育の動画提出でヨガを課題にするのなら、あらかじめヨガマットを用意しておくよう、事前に通達して欲しかったんだけどな。  フローリングで直にやらせると、肘やら膝やらを痛めかねないが、さりとて、今から慣れない大阪の地でヨガマットを探し回るのも無理だ。  仕方がないので、代用品としてタオルケットを二つ折りにして敷いてみた。 「とりあえず、猫のポーズはこの上でやってみるか。ミオ、床の硬さは気になる?」 「んーん、大丈夫だよ。ねね、服も着替えたほうがいいかな?」  そう尋ねてきたミオの服装は、いつも通りのTシャツとショートパンツの部屋着だ。これならポージングに何ら支障をきたすような事はなさそうだが、撮影中のアクシデントで、ミオのショーツがチラ見えしやしないかと思うとハラハラするな。 「まぁ、真横からのアングルで撮るなら大丈夫か……」 「え? なになにー?」 「あ、いやその。体操着でやらなきゃダメって決め事もないし、そのままでいいんじゃないかなーって」 「なるほどー。じゃ、やってみるね!」  あらかじめ記憶していた通りに、ミオが「猫のポーズ」を取ってみせる。その姿勢を、学校から貸し出されたタブレットで撮るのが俺の役目である。  ところが、ジッと同じ姿勢を維持するだけなのがよほど退屈なのか、ミオが突然「どうして猫のポーズって名前なの?」という質問をぶつけてきた。この子が持つ、知的探究心の強さは大阪にいても相変わらずだ。  ヨガにおける「猫のポーズ」とは、平たく言うと日本語に訳された姿勢の一般的な名称である。古代インドから伝わるサンスクリット語では「マルジャリアーサナ」と呼ばれるが、「マルジャリ」は猫の事で、「アーサナ」は姿勢、坐法(ざほう)、要するにポーズを指す。 「じゃ、『猫のポーズ』って名前は、大昔の人が、猫っぽく見えるからそう付けたってこと?」 「うん。当時に使われたサンスクリット語でも、見た目通りに名付けたかったんだろうな」  サンスクリット語と言われても、いまいちピンと来ない人は割といるだろう。現代インドで用いる言語は多岐にわたり、政府公用語であるヒンディー語や、次の〝準〟公用語として学ぶのがビジネス向けの英語だったりするので、日常会話でサンスクリット語を使うインド人はほとんど存在しない。  とはいえ、悟りを得た覚者が仏陀(ぶっだ)と呼ばれる、大乗仏教の経典に書かれた文字がサンスクリット語であったがゆえか、『インド憲法第八付則』においては、サンスクリット語は、立派な公用語として認定されているのだ。 「……とにかく、今言えるのは、そのサンスクリット語とヒンディー語は、ヨガのポーズの名前とか人名とか、色んなところで繋がりがあるって事だな」 「へぇー。インドって、色んな言葉が使われてるんだね」  ミオの旺盛な知識欲を満たすため、ポーズ名の意味どころか語源にまで(さかのぼ)って説明してしまったわけだが、「猫のポーズ」を撮るにあたり、音声を収録する規則はない。よって、この動画は無音にて送信する事になるだろう。  俺が聞かせた雑学は、そもそも学校側の課題とは無関係だし。

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