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61.中期滞在(29)
「えー? それで、お見舞いはいらないって言われちゃったの?」
「うん。確かに風邪は引いたけど、念の為の検査入院だし、何事もなけりゃ数日で帰れるからって……」
見積書の承認をもらった後、会長秘書の京堂さんから、東条会長へのお見舞いを丁重に断わられた時の言葉がこれである。
貸しオフィスでお留守番をしていたミオは、そもそも入院の事実から知らなかったからか、戸惑いを隠しきれないようだ。
「でも、カイチョーさんって、すっごく大きなお仕事をくれたお爺さんなんでしょ。直接会うのがダメでも、お見舞い品はあげてもいいんじゃないの?」
「俺もそう思ったんだけど、『キリがないから』って断られちまってね。結局何もできずじまいだよ」
「ん? キリがないってどゆこと?」
「ほら。入院中のお爺さんは、何しろ、関西地方で最も幅が利く大物だろ? そんな人が入院したって知れたら、大量に届くお見舞い品の受け取りだけで、病院の事務作業がパンクしちゃうんだよ」
「えぇ? そんなにー?」
よほど大げさな話に聞こえたのか、ミオが怪訝 そうに眉を歪める。そりゃ、俺たちにとっては現実的じゃないよな。
ただ、東条会長がそれだけの影響力を持つ御仁であるのは疑いようがないし、その影響力に救われたり、相互利益を得た人らの数は関西地方だけに留まらないのも事実である。
ゆえに、お見舞い品の定番である、果物の詰め合わせ等が全国から集中すると、仮に全てを受け入れられても、今度はその処分に困ってしまうらしい。
他の入院患者へおすそ分けしようにも、彼らの病状や栄養指導の方針が様々だから、おいそれと受け取らせるわけにはいかないのだ。
「――とまぁ、複雑な事情があるもんだから、手書きのメッセージカードだけ預けてきたんだ。もっとも、退院した後に読む事になるんだろうけどね」
「ふーん。お見舞いってフクザツなんだねー」
ミオはそう言うや、ネクタイを緩めた俺の膝に乗っかり、胸板に顔を預けながら抱きついてきた。ウチの子猫ちゃんは、今日も変わらぬ甘えんぼうさんだ。
「確かに複雑ではあるな。例えば花を贈るにしても、同じ部屋に、花粉や虫でアレルギーを起こす患者さんがいるかも知れないからさ。だからモノによっては、そもそも受け付けてくれない場合もあるんだよ」
「じゃあお魚は? 干物だったら食べられないかなー」
「うーん。アイデアはいいんだけど、干物は塩分が多いからな。薄味が基本の病院食に、〝もう一品〟ってわけにはいかないだろうね」
他にも、いち患者のために干物を冷蔵保存できない、などといった病院側の都合もあるのだが、そこまで込み入った事情を明かす必要もないから黙っておこう。
……あ、そんな事より。
魚の干物で思い出した。雨天決行までして串本まで釣りに行った、東条会長の本命である「あの魚」のこと。ミオは何か知っているだろうか?
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