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62.お魚さん尽くし(5)
「ねぇねぇお兄ちゃん。じゃあ、お店が開く前に、イトヨリダイを買えなかったらどうなるの?」
「あ! そうか。そっちの心配もしなきゃいけないんだ。ミオ、なかなか鋭いじゃん」
いかにイトヨリダイが旬の魚だとはいえ、何らかの理由で仕入れができなきゃ、煮付け定食を提供する事自体が叶わなくなる。その場合、食堂はどのような対策を取るのか、俺たちは何も知らない。
だったらあらかじめ、情報を集めておくべきだろう。まだまだ時間の猶予はあるのだから。
「……よし。じゃあ今のうちに、お店に電話して、確認を取ってみるよ」
そう言って、シャツの胸ポケットから取り出した紙を、ミオが興味深げに覗き込む。
「なぁに? その紙?」
「これはね、お仕事で世話になってる秘書さんが書いてくれた、食堂の電話番号らしいんだ。あくまで作ってくれる前提だけど、煮付け定食の予約ができるなら、早起きしなくて済むかなぁーと思ってさ」
「なるほどー。お店が開いてすぐなら、ボクもお兄ちゃんも、まだお腹が空いてないかもだもんねっ」
俺はスマートフォンに電話番号を入力しながら、ミオの明察に大きく頷いた。付け加えるなら、煮付け定食二人分のために、タクシーで三十分の距離を駆る事は、およそ現実的ではないのである。
大阪にまでマイカー持ってこれないし。
「ちなみに、煮付け定食を出してくれる食堂の名前は『昇竜山』なんだって」
「ショウリュウザン? 何だか、お相撲さんみたいな名前だねー」
「な。魚料理を食べさせてくれる食堂に、竜と山の名が付いてんだもん。リュウグウノツカイか何かにちなんだのかねぇ」
と、何の気なしに答えてはみたが、それじゃあ今度は、残った「山」の説明がつかなくなるのか。山にまつわる魚類なんて聞いた事もないが――。
「はい! たつやますいさんでぇーす」
え? タツヤマスイサン?
やけに明るいオバハンが出てくれたのはいいんだけど、全く違う業者に繋いでしまったらしい。電話番号を間違えたかな。
「あの、すみません。昇竜山さんにお電話したつもりだったんですが、間違ってしまいました」
「へ? ああ、一応合ってますよ。食堂の昇竜山でしょ? あっこはウチが営業してますねん」
かような説明から察するに、どうやら転送電話か何かで、経営者さんの事務所か自宅に電話が繋がったようだ。それはそれでいいんだけど、口述による説明が良く分からん。「アッコ」って食堂の別称か何か?
「そうなんですか? 実は、東条会長の秘書さんから、こちらの番号を伺ってお電話させてもらっているんです。というのが……」
「えぇ、東条会長の!? ほな、お兄さん、京堂 さんのお知り合いなん?」
「は、はい。仕事でお会いする縁がありまして」
「あらぁー、そうなん。お兄さん、えぇ声したぁるさかい、気に入りはったんやろかねぇ」
「いえ、そんな。僕なんてまだまだです。はははは」
……一体、俺は何を喋らされているんだろう。もし、ありもしない色恋沙汰の勘繰りが漏れ聞こえたら、固唾 をのんで見守っている、ミオの誤解を招きかねないじゃないか。
ホントに頼むよ。今の俺は、子猫系なショタっ娘ちゃん一筋なんだから。
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