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62.お魚さん尽くし(9)

 すりガラスの引き戸を開け、内暖簾(うちのれん)をくぐると、カウンター席の向こうから、威勢の良い女性の声が聞こえてきた。 「いらっしゃい、柚月さん! ……あらぁ、恋人と来はるんか思てたら、お人形さんみたいなカワイイお嬢ちゃんを連れて来とってやないの」  という声と喋り方で確信を得た。ひと目で俺の名前を当てたこのお方は、昨日の電話で応対してくれた専務のオバハンに違いない。  それはそれで話が早いからいいとして、まーたここでも、ミオは女の子と間違われてしまうのか。もっとも、今朝送迎に来てくれた兄ちゃんにも間違われた時点で、既にこの子も諦念(ていねん)していたわけだが。 「お世話になります。突然のお電話にもかかわらず、お迎えにまで来ていただいて――」 「ええの、ええの! 定食はすぐにお出ししまっさかい、奥のテーブル席で待っといておくんなはいな」  そう言って専務さんが指差した先には、二人が対面して座れる大きさのテーブル席がセットされていた。確かに定食の予約はしたんだが、まさか「予約席」のプレートを置いてまで、俺たちの席を確保していてくれたとは。  こうまで特別扱いされると、かえって東条会長や京堂さんの名前を出して良かったのか? と心配になる。そのくらい、お二人の影響力が強いって事だろうし。 「和音(かずね)、お客さんにお冷やを出したげて!」 「えー。何でウチが? いつもはやってへんやんかー」 「アホ! こちらのお客さん方はビップやねん、ビップ! ええから早よ出しんかいな」  専務への不満で口を(とが)らせた女の子は、渋々ながらも、二人分のお冷やをお盆に乗せて運んできてくれた。華やかなワンピースに身を包んだ「カズネちゃん」は、背丈や顔つきから推察するに、おそらく中学二年か、三年生くらいだろう。  どう見ても店員じゃないよな、この子。先ほどのやり取りを見た感じだと、専務の娘さんである可能性が高い。俺たち以外にお客さんはいないし、隙を見て、暇つぶしにテレビでも見に来たってところじゃないだろうか。 「……いらっしゃいませ」  まずい、あからさまに機嫌を損ねている! 声のトーンがさっきとは全く違うじゃないか。 「ご、ごめんね、カズネさん。いきなり面倒ごとを押し付けちゃって」 「いえ。仕事ですから」 「ははは。気を遣ってそう言ってくれるのは嬉しいけど、実を言うと入店してすぐ、あれが目に止まっちゃったもんだからさ」  そう言って俺が指し示す「お水はセルフサービスでお願いします」の張り紙が目に入った途端、驚きの表情で向き直ったカズネさんから小声がもれた。 「あんな小っさい張り紙……見てくれてはったんですか?」 「仕事がら、外食が多くてね。お冷やのお代わりは自分たちでやるから、カズネさんには、ゆっくり休んでてもらえると嬉しいな」 「え? せやけど――」 「ありがとね、カズネお姉ちゃん!」 「はうッ!? そ、そんなんアカン。ウチ、お姉ちゃん言うほど人間できてへんからぁ」  屈託のないミオの笑顔に魅せられたのか、あるいは「お姉ちゃん」と呼ばれる事によほど免疫がなかったのかは分からない。分からないが、とにかくカズネさんは顔を真っ赤にしながら、カウンターの奥へと走り去ってしまった。  初々しくてカワイイねぇ。

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