848 / 869

62.お魚さん尽くし(10)

「はい、お待ちどうはんでした! イトヨリダイの煮付け定食、二人前ね」 「わぁー! 煮付けにするとこうなるんだぁ。おいしそうだねっ!」 「うん。よく染み込んだ煮汁と、おろした生姜のいい匂いがするよな。ところでオバ……おかみさん。こちらのイトヨリダイ、味噌汁にも使ってますか?」 「あら! 柚月はん、よう分かっとってやないの。匂いで気づきはったん?」  本人にとってよもやの質問だったのか、専務のオバハンは目を丸くして聞き返してきた。 「いえ、(あぶら)です。僕が子供の頃、父親が釣ってきたカサゴを度々味噌汁にしてもらってたんですけど、その時に浮き出た脂が特徴的だったので」 「えぇー……皮や身が見えたとか、エエ匂いがしたとかやのうて、脂で、味噌汁にイトヨリダイを使うたのが分かったいうこと? そんなお客さん、今まで見たこともないわ」 「はは、たまたまですよ。そういやカサゴって、こっちでは『ガシラ』って呼ぶんでしたね」 「あ? ああ、まぁそやね。しかし柚月はん、あなた何でも知っとってやないの。大学で水産学でも習うとったん?」 「いえいえ、単なる雑学と思い出話ですよ。それに魚に関しては、僕なんかよりも、ウチの子の方がよほど詳しいですから。な、ミオにも分かってただろ?」 「うん! カツオと昆布と、もう一匹のお魚さんでダシを取った匂いがするぅー。その〝もう一匹〟がイトヨリダイなんでしょ?」  この状況下において、「カツオをこそ味噌汁の具にしたのでは?」という不可解な指摘は意味を持たない。なぜなら、この味噌汁にはカツオと昆布の合わせによる「ダシ入り味噌」を用いているからだ。つまり、ミオはそこまで嗅ぎ分けていたのである。  というところまで看破されたのがよほど衝撃だったようで、専務のオバ、おかみさんと、カウンター席で遠巻きに見ていたカズネちゃんは、驚きと動揺が入り混じったような、複雑な表情を見せていた。  俺は見た目で推測しただけだから、別に大したことはないんだよ。むしろミオのように、イトヨリダイを食べたことがないにもかかわらず、何らかの魚の匂いを嗅ぎ取った方が凄いわけで。  やっぱりウチのショタっ娘ちゃんは子猫系なもんで、俺たちよりも嗅覚が鋭いのかも知れないねぇ。 「じゃあ、さっそくいただきますか。待ちに待ったイトヨリダイの煮付け、どんな味がするのかな」 「いただきまーす! わぁぁ、見て見てお兄ちゃん。白身が骨から剥がれやすいよー」  ミオはすりおろした生姜をチョンと乗せ、煮付けの皮を箸でつまむと、ダシの染み込んだ、ホクホクの白身がその姿を見せた。 「うん、ウマイ。甘辛く煮込んだ白身がメシに合うって最高じゃないか? 厄介な小骨も取り分けが簡単だしさ」 「そだね。少しずつ、ご飯に乗っけて食べるの、ボク、だーい好きだよ!」 「あらぁ、おおきにね。オバチャン、そないにまで褒めてもろた事ないから嬉しいわ」 「え? こんなにウマイのにですか? 確かに、小皿のおかずは朝食にしては多いかもだけど――」 「せやないんです!!」 「おわっ、ビックリした! ど、どうしたの? カズネちゃん」 「柚月さん、聞いて下さい。ウチに来るお客さんはみーんな、イトヨリの事を分かっとってやないんです! 毎日毎日、オカンが早よ起きて仕込みを頑張ってるのに……」  おかみさんと俺たちのやり取りを見ていたカズネちゃんが、たまりかねた様子で訴えかけてきた。反抗期か何かでスカしているだけの娘かと思っていたら、こうまで熱くなる一面までも秘めていたとは。  彼女の様子から察するに、この煮付け定食を巡って、過去に何らかの一悶着が起きたのかも知れないな。

ともだちにシェアしよう!