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62.お魚さん尽くし(11)

「和音、いらん事言わんの! お客さんが朝ご飯食べてはんねんで」 「何が『いらん事』なん!? 柚月さんと〝ミオちぃ〟が、ここまでオイシイ言うてくれはるんは、オカンが一生懸命作ってこそやんか!」 「エエから黙っときなさい! そんな話はお客さんに聞かせるモンと違うねん」  ……何だかよく分からないが、おかみさんと娘のカズネちゃんとの間で口論が始まってしまった。イトヨリダイの煮付け定食をウマイと言って、こういう展開になったのは全くの予想外だ。それだけに、俺は何かしら、余計な事を口走ったんじゃないかと心配になってしまうのである。  そんな事を考える一方、ウチの子猫ちゃんは、母娘の言い合いには全く興味がないのか、至極平然とした様子で、むしろニコニコしながら定食を食べ進めている。  多分、この子が通っている小学校では、この手合いが日常茶飯事なんだな。子供のケンカや悪ふざけは時と場所を選ばないから、たとえ給食の時間に起こった揉め事であっても、いちいち反応していられないのだろう。  あるいは大阪弁ゆえに何を言っているのか分からないとか、単純に定食がウマすぎて、口論が全く耳に入っていないのかも知れない。  俺とて、他所様(よそさま)の事情に首を突っ込むためにここへ来たわけじゃあないんだが、カズネちゃんが俺に何かを訴えたいのなら、一旦、箸を止めて耳を傾ける必要があるだろうな。 「まぁまぁまぁ。言い争いの理由はおおかた理解できたんで、僕で良かったら詳しく聞かせてください。僕たちも、今日は無理を言って寄らせてもらった立場ですから」 「せやけど……和音が言おうとしとるんは、わたいらが毎日、この定食を作るための苦労話みたいなもんでっさかいに。それが恩着せがましゅう聞こえてもうたら、せっかくのご飯も楽しんで味わってもらわれへねんなります。それだけはやったらあきませんのや」 「またそういう事言うやろ、オカン。こないだなんか、船釣りのおっさんが『イトヨリなんかアマダイの外道やんけ』いうて、まともに食わんと帰ったやんか。あんなん言われて悔しぃないの!?」  あぁ、そういう事か。確かに船釣りにおいて、アマダイはまごうことなき高級魚で人気がある。おっさんの正体が誰なのかはともかく、アマダイ釣りの仕掛けを投げておいて、その釣果がアマダイでなきゃ「外道」と考えたわけだ。  外道の定義は個々人の自由だから、イトヨリダイを釣り上げて外道とみなすのは好きにやればいい。ただ、そのおっさんが自らイトヨリダイ定食を頼んでおきながら、ロクに箸もつけず(あざけ)り、あまつさえ外道呼ばわりして帰るなど、明らかに常軌を逸している。  カズネちゃんは、その一件がよほど腹に据えかねたのだろう。毎日早起きして仕込みを頑張っているおかみさんの努力を、もっとも近くで見ているだけにね。 「なるほど。そのお話で、問題の本質が見えてきたような気がします。この件に関して、僕でもお手伝いできる事はありそうだから、まずはカズネちゃん」 「は、はい!」 「僕がおかみさんと話をしている間、ウチのミオを、卸売市場の見学に連れて行ってくれないかな? この子は魚が大好きだからさ」 「分かりました! ミオちぃはウチが責任持って守ります!」  食後、カズネちゃんに手を引かれて食堂を出る際のミオは、彼女に付けられた謎のあだ名「ミオちぃ」に疑問符を浮かべているようだった。  こっちで大人の話を進めている間、果たしてあの子らには、どんな内容で話に花が咲くのか、未知の化学反応を楽しませてもらおうじゃないか。

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