859 / 869
幕間(2) 「楔」の正体(6)
長くスマートフォンとにらめっこを続けてきたツケで目が疲れてきたため、ミオと一緒に、テーブルに置いたノートパソコンで調べ物を続けることにした。
「こうしてネットで検索してみると、何だか、『楔を刺す』より、『釘を刺す』の方が正しいみたいな結果ばかり出てくるなぁ。ミオは習ったことある?」
「んー? ホントに釘を刺すんじゃなくって、カンヨークの方でしょ? 国語の授業で習ったことがあるよー」
「へえ、国語でねぇ。初めて聞いた時は驚かなかった?」
「ボクより先に、朗読で当てられた里香 ちゃんが驚いてたよ。読みながら『えっ!? なんで!?』って言っちゃったの」
「ははは。初めてだから笑っちゃ悪いけど、そうなるのも仕方ないさ。ミオくらいの歳の子には、まだ馴染みがない言葉だからね」
かような笑い話から察するに、おそらくミオの親友である里香さんは、釘とは何の為に使うモノか? という問いの答えは既に知っていたのだろう。
でなきゃ、「誰々さんに釘を刺す」なんて文章を朗読して、ビックリするはずがないもんな。
「でも、変だって思わない? 普通に『念を押す』って言えばいいのに、いきなり釘が出てきたら、意味を知らない子はみんな驚いちゃうよー」
ミオは困ったような顔で人差し指を立てると、テーブルを軽く突っつき初めた。たぶん、釘を刺すジェスチャーを模擬的に実践する事で、慣用句との共通点を探っているのだろう。こう言っちゃ何だが、初めて釣った豆アジをツンツンしていた時のようだ。
「何か、ピンとくるものがあったかい? 子猫ちゃん」
「にゃー! 全然分かんないにゃーなの。だって釘じゃなくても良くない? 痛そうだしぃ」
「うん。確かに想像すると痛そうだよな」
プロレスのデスマッチじゃあるまいし……と言おうとしたが、咄嗟 に言葉を飲んだ。いつも穏やかで、平和な暮らしをこそ望むミオにとっては、いかにデスマッチが格闘技の範疇 だとは言え、さすがにモノの例えが悪い。
「俺が言えた義理じゃあないんだけど、釘にしろ楔にしろ、ある程度の教養を培 ってきた人でなきゃ、慣用句を使いこなしたり、読み解くのは難しいって事じゃないか?」
「キョウヨウ?」
「そう、教養。ミオはまだ子供だし、色んな事を吸収できるから、そのうち諺 だろうが慣用句だろうが、自由自在に操れるようになると思うよ」
……とは言ったものの、実際にそうなりたいか否かは、あくまでミオの意欲次第だろう。ただ、この子が持つ、飽くなき知識欲や知的探究心の強さを考えると、何でも吸収できちゃうように思えるのだ。
その実例として、ミオが大好きな魚介類の種類やら習性やらの知識量は、もはや俺なんかが及ばない領域にまで達しているんだし。
「じゃあ、今日は『楔を刺す』のお勉強だねっ! さっきお兄ちゃんが言ってたみたいに、釘とは違う意味なんでしょ?」
「うん。使いどころもちょっと違ってくるというか、説明が難しいんだよね。一言で言い表すなら、『先手を打つ』みたいな」
……あ。この説明じゃダメか!
よくよく考えると、「先手を打つ」自体が慣用句なんだから、もっと直接的な表現で意味を伝えなきゃ、堂々巡りになってしまう。
「ゴメン、今のなし。例えば、大切な恋人を横取りしようとする奴に、前もってきつーい忠告をして諦めさせる……的な感じかな」
案の定、「先手を打つ」がピンと来なかったミオは、恋愛を例えにした途端、たちどころに目を輝かせ始める。
「なるほどー。今の、すっごく分かりやすーい! ねねね、お兄ちゃん。その大切な恋人って誰のこと?」
「え? 今のはモノの例えだから――」
――とは言えない空気になってきた。
俺の腕をぎゅっと抱きしめ、澄んだ瞳で見つめてくる様子から察するに、どうやらミオは、具体的な人名で例えて欲しいようだ。でもそうなると、俺からミオを横取りしようとする奴は誰なの? という話になるわけで。
まぁいいか。佐藤という事にしておこう。
ともだちにシェアしよう!

