867 / 869

62.お魚さん尽くし(13)

「――じゃあ、粉屋のお嫁さんが作った風の料理だから、『ア・ラ・ムニエール』って名前をつけたってこと?」 「らしいよ。まぁ粉屋に限った話じゃないんだけど、昔のフランスでは、料理はもっぱら嫁さんの役割だった事で名が残ったんだろうね」 「へぇー。でも、アラって名前、他にも使ってるよね? プリン・ア・ラ・モードとかもそうでしょ」 「確かにな。プリン・ア・ラ・モードの場合は、簡単に訳すると『流行り風のプリン』になるから、今、日本で使われているア・ラは、『ナニナニ風』みたいな意味合いだって覚えるといいよ」  という説明で得心がいったのか、ミオの顔がぱぁっと明るくなった。粉屋が製粉の事だと理解した上でここまで会話が成り立っているから良いようなものの、もしも相手が、「怪しい粉」という謎の解釈でモノを問う人間だったら非常に始末が悪い。  ミオは一を聞いて十を知る賢い子だから黙っていたが、現代において、ア・ラ・ムニエールとは「粉屋のおカミさん風」という意味を持つ料理なだけであり、現代において、担当シェフが必ずしも女性である必要はない。  したがって、先ほど寄った食堂のおカミさんが、俺たちの為に舌平目のムニエルを振る舞ってくれるのは、全くの偶然なのである。 「で、最後は水族館を見に行くんだっけ?」 「うん! カズネお姉ちゃんが教えてくれたんだよ。『水槽は小さぁて水族館としては微妙やけど、珍しい生き物を飼うとるさかい、見てて飽きひんねん』だってー」  抑揚(よくよう)の付け方に違和感こそ覚えるものの、どうやらこの子は、カズネさんの言った事を一言一句ハッキリ記憶しているらしい。  しかし、珍しい生き物とはねぇ。おそらく深海に生息する何らかだとは思うけど、ミオがこうまで心を踊らせているんだから、よほど物珍しいのだろう。 「あっ、ここだよお兄ちゃん! 入ってみよ!」 「え。これが水族館? ホントに小さいな」  ミオに手を引かれてたどり着いたのは、カズネさんの説明に違わぬ、小ぢんまりとした白い建物だった。  出入り口は手動にて開閉するスライドドアで、〝入館無料〟の張り紙がなされている。管理者や従業員がいない無人の水族館……だからなのか、物静かで窓もなく、人が身を隠せる死角も多い。 「何だかヒンヤリしてるね。水槽のブクブクする音だけが聞こえるよー」 「静かなもんだなぁ。水温を調節するために、今の時期は建物ごと冷やしているのかも知れないね」 「なるほどー! でも、こんなに誰もいない水族館って不思議じゃない? 珍しい生き物を飼ってる場所なのにぃ」 「ん? う、うん。実は見つけにくい場所にあるとかじゃないか?」  ……なんて答えてみたが、実のところは他の理由もあるらしい。  食堂のおカミさんから聞かされていた事前情報によると、このミニ水族館はいつしか、知る人ぞ知る逢引(あいびき)の場としても利用されるようになったのだそうだ。  つまり俺は今、珍しい水産動物の見学と同時に、恋人との逢引のために水族館へ訪れたという事にもなる。もしかして、カズネさんは俺が合流する話を聞いて、あえて自ら身を引いたのだろうか?  いや、まさかな。

ともだちにシェアしよう!