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62.お魚さん尽くし(17)

「なるほど。だから和音さんは、声を聞きつけた俺が助けに来たと思ったんだね」 「そうなんですぅ。アイツ、性格は最低やけど、やたら強そうでしょ?」 「確かにね。性格は最低だけど、ただデカイだけじゃなさそうだ。たぶん、柔道かレスリングの経験者だろうな」  それを聞いたミオと和音さんは不思議がっていたが、俺の推察にはそれなりの根拠がある。遠巻きではあるものの、あの迷惑男・鷹野の〝耳〟に注目したからだ。 「ミミ? ねぇねぇお兄ちゃん、あのセイカクはサイテーなおじさんの耳がどうかしたの? ひょっとして福耳とか?」 「い、いやいや、さすがに福耳で格闘技の経験があるとは言えないよ。アイツの耳をよく見てごらん。まるで餃子(ぎょうざ)みたいだろ?」 「あ! ホントだ! 耳がふさがってるみたいなギョウザー」 「ミオちぃ、逆や逆。『ギョウザみたいに塞がっとる耳』って言わな。せやけど柚月さん、その耳が格闘技と、どう関係があるんです?」  和音さんが、膠着状態(こうちゃくじょうたい)にある揉み合いから身を隠しつつ尋ねてくる。 「あの耳は耳介血腫(じかいけっしゅ)、通称『カリフラワー耳』とも言ってね。主に組み技を長年やり込んだ証みたいなものなんだよ。さっきから、やたら胸ぐらを掴もうとしている様を見ても、打撃系がバックボーンだとは考えにくいな」 「ほぇ? バックボーンってなぁに? お兄ちゃん」  俺の後ろにピッタリとくっつき、シャツの裾をキュウと引っ張り続けているミオは、どうやら恐怖よりも、新たに湧き出た横文字の意味に気を取られ始めたようだ。 「うーん、そうだな。まぁ平たく言うと、あの男がやってきた〝習い事〟ってところじゃないか?」  英語に弱いのはともかく、何よりかよわいショタっ娘ちゃんに刺激の強い言葉を聞かせぬよう、あえて表現を緩めてみた。もっとも、「下地」と言った方がパッとしたかも知れないが、今そこにある問題の本質は、聞き慣れない言葉の定義づけを明確にする事ではない。  相手がおじさんの集まりだとはいえ、多対一でも蹴散らすほどの実力を持つ、あの鷹野という屈強そうな男。奴の蛮行を止めることができるのは一体誰なのか?  まぁ、普通は俺なんかより真っ先に、国家権力を行使できるお巡りさんに頼むのが筋なのだが――。 「ところで和音さん。警察には連絡したの?」 「それが……。オカンがさっきデンワしたんですけど、一番近い警察署の人は皆、出払ってるらしぃて……」 「えぇ!? そんな事ある?」 「ウチも詳しゅうは聞いてへんのですけど、何や変なおっさんらが、ごっつぅ高い宝石店に立て籠もりしとるから、機動隊やら応援やら出さなアカン状態やねんって言うてました」  んー、非常に間が悪い!  何なんだ今日は? 俺たちはただ、イトヨリダイの煮付け定食というご馳走を頂きに来ただけなんだぞ。  そんな穏やかな休日で、事もあろうに、非常事態の煽りを食った民間人の俺たちが、あの酔っ払いのゴンタクレ男をどうにかして撃退しなければならないと? あれだけ寄り合いのおじさんたちが取り囲んでも、アッという間に蹴散らすような大男を? 「せやさかい、柚月さんなら何とか……」 「むむ? カズネお姉ちゃん。もしかしてお兄ちゃんに、あのワルイ人とケンカさせようとしてるの?」  彼氏の俺だけには絶対に向けることのない、怒りと疑念が入り混じった厳しい語調。ミオが抱いたその感情は、鷹野ではなく、和音さんの方に向けられていた。 「え? そらそうやん。ここの守衛(しゅえい)さんかてエエ歳やし、腰が痛ぁて動かれへん言うてんのに。柚月さんの他に戦える人いてへんやんか」 「もぉ、何言ってんの!? お兄ちゃんは、ボクをお嫁さんにしてくれる大切な人なのにー!」  どうやら怒ることに不慣れなせいで、叱責というよりは、俺に対する愛の宣言みたいになってしまったらしい。  目前の危機に面して、こんな事を考えると薄情に映るのかも知れないけれど、ミオの言い分は全く正しい。確かに若さや体格だけなら、おそらくこの場で、あの迷惑男に対抗できる「かも知れない」のは俺だけだろう。  だからといって徒手空拳で戦い挑み、無事に取り押さえられる保障なんかはどこにも無い。  きっと、ミオは俺の身を案じるがあまり、「そんな危ない相手と将来のお婿さんをケンカさせて、もしも酷い目に遭ったらどうするんだ?」みたいな事を、厳しい口調で問い詰めたかったのだと思う。ホントに優しい子だよなぁ。

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