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62.お魚さん尽くし(21)

 飲んだくれで凶暴な柔道有段者との決着を果たした、その後日。  俺は、仕事で訪れた東条会長の邸宅において、会長の秘書を務める京堂さんに「世間話」という体をとって、事の顛末(てんまつ)を洗いざらい打ち明けた。  なぜなら、あの比較的小規模な卸売市場は、関西圏を牛耳る会長の肝いりで作られた、水産業の流通を推し進めるためのものだからだ。そこで起きた悶着(もんちゃく)を、会長抜きで黙っておくわけにはいかない。 「まぁ! あの土曜日にそんな事が? 柚月さん、とてもご災難でしたのね」 「ははは、あれはタイミングが悪かったというか。警察官の一人も寄越せない事情なら、残る選択肢がどうしても狭まっちゃって……」 「ああ、ほぼ同時刻に起こった立てこもり事件ですよね。でも、その鷹野という人を軽くいなした後は、結局どうされたんですの?」  何だか話が大きくなっている。確かに「いなし」はしたけれど、いろんな意味で、決して軽くはなかったぞ。 「あの後、普段は署内の柔道場で稽古をつけている先生が、真っ先に駆けつけてくれたんです。何でも、鷹野が子供の頃、直々に指導した実績のあるお方だそうで」 「あら! それはさぞ、ご高名な先生なのでしょうね」 「だと思います。鷹野のやつ、自分が縮こまるくらいの大目玉を食らったあと、半ば強引に連れ戻されてましたから」 「うふふ。身から出た(さび)ですし、やむを得ませんわね。どんなに怒られても、連れ戻されただけで済んだのでしたら、ありがたいと思わなくっちゃ」  そう。実を言うと、鷹野は逮捕されなかったのだ。  大目玉の後をより詳しく再現すると、鷹野と一緒になって深々と頭を下げ、自身の不明を詫びる先生が気の毒だと思った俺は、店主さんたちの意向も受けて、今回だけは警察沙汰にしない事を決めたのである。  だってさぁ、ご高名な柔道の先生が御自(おんみずか)ら鷹野の身を預かるって仰るんだもの。しかも、「こいつだけは丸刈りにして、改めて謝りにお伺いします」とまで言わせてしまっては、とてもじゃないが行き過ぎだよ。  確かに鷹野本人が潰したメンツだとはいっても、店主さんたちにすれば、出入り禁止さえ守ってくれれば、それ以上の実害はないわけだし。東条会長とて、〝あの副本部長〟よりは、先生に寄せる信頼の方が厚いのは明々白々なのだから。 「先生のお顔を立てたという側面もありますけど、僕や食堂の店主さんたちも、そっちの方が都合は良かったんです。オイシイご飯を食べに来ただけなのに、事情聴取で時間を奪われたら……」 「あ、それは……関わったお方の人数を考えると、気が遠くなりそうですわね。良かったら、次は私にご連絡いただけませんか?」 「え?」 「場所さえ教えてくだされば、会長付きのSPを四、五人くらいは融通できますから!」 「い、いやいやいやいや! そこまでしていただく程の事は、その。金輪際(こんりんざい)避けるようにしますので。あははは」  確約こそできないものの、思わず笑ってごまかしてしまった。  そりゃあ、俺やミオにとっては、これ以上ないくらい嬉しい提案だけどさ。そこまで東条会長のご威光にすがっては、ビジネスパートナーという関係が崩れてしまいかねない。  というか京堂さんって、思った以上に強い権限を持っているお方なんだな。まぁ、そのくらいの信用がなければ、邸宅の全般を任される秘書にはなれないって事なんだろうけど。 「遠慮なさらなくてもいいのに。ところで柚月さん、肝心なイトヨリダイの定食はいかがでした?」 「ええ、京堂さんのおかげで、とてもオイシイ朝ご飯が食べられました。トラブル解決のお礼だからって、思わぬ贈り物まで頂いちゃって……」 「贈り物、ですか? 大きなサワラ一尾のような?」  うーむ、さすがは東条会長の秘書だ。大きなサワラって、確か十キロを軽く超えていたような。ミオは喜ぶだろうけどさ。 「いえいえ。実は、卸売市場の組合が利用契約をされている、保養施設の無料宿泊券なんです。大阪の中東部あたりの山あいで、川魚の釣りもできると聞きました」 「中東部の山あいで川魚…………ああ! でしたらきっと、そこは柏原(かしわら)の『柏丹荘(かしたんぞう)』ですわ。確かに釣りはできますけど、お泊りの施設自体はコテージなんですの」  コテージ? 今ひとつイメージが湧かないな。某ロールプレイングゲームで使う、回復アイテムみたいな建造物? 「会長も年に一度は遊びに行かれる、静かで良いところですのよ。柚月さんもぜひ、ミオさんと一緒に、甘いひとときを過ごしてきてくださいね」 「あ、ありがとうございます。釣り道具を一式揃える折には、ぜひ、東条釣具店さまにご助言をいただき……」  そこまで言って目線を上げると、京堂さんの、とても微笑ましげな顔が飛び込んできた。そういや京堂さんにだけは、俺とミオが恋人同士だって打ち明けてたんだったな。  釣具の事も含めてよくよく話を聞くと、ここから宿泊施設までなら、レンタカーを調達すれば、およそ三十分くらいで着くくらいの距離らしい。  それはそれで、実家に帰るほどのロングドライブじゃないから助かるのだが、果たして今の時期、柏原を通る川で何が釣れるのだろう? というかそれ以前に、ミオって、コテージで寝泊まりした経験はあるのかな?  まぁ、今、その事を心配しても仕方ないな。思わぬ形で飛び込んできた、外泊と川釣りを存分に楽しめるよう、綿密な計画を立ててみるとしますか。

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