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第七話 戸惑い 下

 次の日。蓮は「音楽に集中したいから用事がない場合は極力部屋に来るなよ」と念を押しておいた。けれど、晴に「こもってばかりいるとますます顔色悪くなるよ」と前髪を掻きわけられ、撫でられた。  触れられただけでドキッとする胸の鼓動に悲しくなってくる。わかっていてわざと触れてくる晴も、そんなことで喜んでしまう自分にも嫌気がさす。  怒った蓮は「勝手にしろ」と吐き捨てるとほとんど部屋に閉じこもった。昼と夕食を一緒に食べる以外の会話をしなくなった。  家に住むようになった晴はうちにいても勉強している。てっきり部屋の中で勉強するものだと思っていた。けれど晴は部屋が気に入らなかったのか、リビングでノートを広げ、ペンを動かしていた。勉強用ではないけれど、それなりに大きい机を部屋に置いた。見る限りあれではできなかったのか、ただ単に気に食わなかったのかどっちかだろう。  問題なのは、水分を取りに行くのに顔を合わせてしまうのが嫌だ。本当は毎日だって顔を見たい。勉強している姿を眺めていたい。けれどそれで嫌な思いはしてほしくない。不快になるだろうな、と塞ぎ込みながら何度か足を運んでいる。  自分からは極力話しかけないようにしていたが、流石に家でも勉強する真面目な大学なのかと好奇心に負けてしまう。 「おまえそんなに勉強してるけど、どこの大学行ってんだ?」 「東京大学の法学部だよ」  「と、東大の、法学部⁉︎」 「一応弁護士目指してるから」 「弁護士…。昔から頭良かったからな」 「兄さんもそこそこ良かったでしょ」 「そこそこだよ。なんで弁護士目指してるんだ?」 「……弱い人を助けるためだよ。心当たりあるんじゃない?」 「は? どういう…」  蓮は投げやりな言い方に思わず喧嘩腰で問い詰めようとした。けれど、目すら合わせない晴の態度に言葉を失う。すぐに自分のせいで被害にあったからだと悟る。それでも必死に勉強して実現しようとしている姿は前向きで、自分がより小さくみえた。  黙り込んだ蓮に気を(つか)ったのか、晴が咳をする。 「まぁ法律は知っておくと便利だから。いつか法律そのものを作ったり変えたりもしたいし」 「……おまえはほんとすげぇな。そう思えることってなかなかできるものじゃねぇし…なによりその心が一番大事だったりするし」 「そうだろうね。てか、なんか詩人くさ」  晴はそう言って少し笑ってくれた。それだけで嬉しい。できれば笑って過ごしてほしいと思う反面自分がそばにいる限りありえないんだろうな、と渇いた喉を鳴らした。 「ははっ」 「嘘だよ。ありがと、嬉しいよ」  晴は小さい声でそう呟くと勉強用にかけている眼鏡を整え、再び机に向かった。  これ以上の会話は勉強の邪魔になるなと蓮は思い、自分の部屋に戻った。    晴には仕方がなく猫の部屋にしていた場所を貸すことになった。せっかく掃除までして綺麗にしたけれど、意味なかったようだと落ち込む。さらにやりきれない負い目に頭をもたげていた。 (やっぱり俺のせいだったか)  蓮は深いため息を吐きながらベッドに寝転んでいた。「法律は知っておくと便利だから」と言った晴の横顔が少し辛そうだったのを見て、ズキズキと胸が痛んだ。  マスコミが押し込んできたり、必要以上の電話がかかってきたのかもしれない。もしかしたらと想像しないことができなかった。それゆえ対象法として法律が有効になったのかもしれない。実際弁護士を雇って対処したのかもしれない。それで身を守ることを学び、目指したのだろうか。  晴の考えていることが、わからない。  明らかに俺のせいであるような気がして辛い。迷惑かけたのもそうだが、どうして生き方を貶されなければいけないのかわからなかった。  同じ人同士。赤色の血が流れているはずの人。けれど差別されている時点で同じ土俵の上には立っていない。 「…曲、作れない」  それは蓮が憔悴(しょうすい)しているもう一つの原因だった。  晴が家にきてから全く新曲が作れなくなってしまった。歌を続けていることが罪悪感に苛まれて指が止まってしまう。監視されているような目線。憎悪のような瞳でピアノを見た。歌う声ですら震えてしまってうまくできない。まるでお前に罪の意識はないのかと問われているようで恐ろしい。なにより生き方を否定されているようで立ってられなくなる。  それでも俺にはもうこれしか残ってないのに、取り上げないで、と叫ぶ俺がいる。どれだけ罪を被ってもいい。歌だけはやめてくれ。そうじゃないと生きていけない。  俺が晴を好きだと伝える唯一の方法を消さないでくれ。 「……この苦しさを表現したいんだけどな」  葛藤(かっとう)する。表現していいものか。晴には迷惑かけたくない。かけたくはないが、歌いたい。それしか自分に表現できるものはない。他に伝える方法を知らないからだ。  蓮は歌おうとするものの、結局口を閉じてしまい、眉を寄せて悩む。すると、みゃ~と鳴き声をあげながら愛猫が顔を舐めてきた。 「あはっ、くすぐったいって、ハルちゃん。大丈夫、今日は泣いてないよ」  そう言ってもハルちゃんは舐めるのをやめなかった。    ハル。元は捨て猫で、三年くらい前で家の帰り道にダンボールに捨ててあったのを見て、ほっとけなかった俺が拾ってきた。その日は雨が降っていたから余計に自分と重なってみえた。  茶色のような毛の猫だった。とりあえずの名前だけでもと思い、晴にしようかと道中考えていた。けれど流石にそれは女々しいなと思い、わからないようにハルとカタガナ表記でどっちでもいけるような名前にしようと思い至った。わからないようにって自分に言い訳しているみたいだと自分の執着心に嫌になる。震えている仔猫を抱きながらエレベーターに乗る。急いで家の鍵を開けた。さっそく浴室へと行き、シャワーで汚れを落としたらびっくり。  仔猫は、白一色のマンチカンだった。  どうやら、捨てられた理由らしきものは目がオッドアイだからとネットで叩かれていた。その気味の悪さと聴覚障害を持つ猫のようだ。そんなことで捨てる飼い主をぶん殴ってやろうかと蓮はスマホを思い切りソファに投げた。  タオルである程度優しく乾かす。風呂場でも多少暴れられたが、今はなんとか落ち着いている様子だった。それからドライヤーで温度と音を調整して三十分が経った。音に驚いていたのかびくびく怯えている。逃げ出そうともして大変だった。けれど真っ白のふわふあ状態ができ、思わず抱きついてしまう。  あたたかくて、きもちがいい。  元から毛並みがいいのだろう。髪の毛とはまた違って、クッションよりも柔らかく、綿毛のような繊細さに、ここに一生住みたいという誘惑に負けるほどだった。 「やべ~すげぇいい」  声に反応したのかみーっみーっと鳴く。そういえば餌がない。ソファーに寝かせ、急いで冷蔵庫を開く。とりあえず、ミルクでもと温かくした牛乳を与えた。 「今日はこれで我慢してくれ。明日買ってきてやるからな」  そう言いながら頭を撫でた。ぺろぺろと一生懸命に飲んでいるのを見るとお腹が空いて鳴いていたんだとわかる。  さて、名前をどうしようか。蓮はハルにしようと思っていたが、まさかこんな真っ白とは思わず似合う名前を考えていた。しろ、は無難すぎるし、ユキもな…。  白くて小さいもの。鈴蘭で、すず、はどうかな。 「なぁ、おまえ名前何がいい? すずとかよくないか?」  じっとこちらを見つめる仔猫。オッドアイで白という神秘性に、やはり相応(ふさわ)しい名じゃないと満足しないかと考える。それに男か女かもわからない。一度病院に連れていかないといけない。 「あ~もう! ハルから離れろよ、俺は」  自分の欲求に直球すぎる。いないからってこいつで埋めわせするなんて最低だ。  頭を悩ませながら唸っているとみーみーと鳴き始めた。鳴きながらよじ登ってくる仔猫。 「ハル…?」  まさかと思い、もう一度名前を呼んでみる。みーっと今度ははっきりと鳴いた。それが笑っているように見えて、蓮は釣られて笑ってしまった。  聴覚障害なんかもっていない。ちゃんとこの子は聴こえている。  じわりと胸にあたたかいものが溢れだす。  蓮はそっと仔猫を抱きしめた。 「かわいいやつだな、おまえ」  いい飼い主探してやるからな、と蓮は楽しそうに仔猫の世話をし始めた。  ところが、障害を持つ猫はお金もかかり、稀少な猫であっても飼う人は少ないらしい。イクミにも相談して色々手を尽くしてみたが、結局そのうち情が湧いた俺がそのまま飼うことになった。このマンションはペット禁止でもなければ、最上階の俺のところに苦情もないだろうと最適だった。一番の飼う決め手となったのは淋しさをこいつで埋められると思ったからだった。  そして病院で女の子というのがわかり、「ハルちゃん」と呼ぶようになった。   「ハルちゃん、今日も一緒に寝るか?」  自分でもスイーツ並みに甘いと思うような声で猫に問う。するとみゃーっと返事のように鳴いた。  以前は別々で寝ていたが、部屋は今あいつが使っているため自分の部屋にいる。  ピアノやギターそれから猫が破りそうな歌詞の書いた紙。そういったものが置いてあるため別々にしてあった。けれど今日からより気をつけないと愛猫も楽器たちも傷つけてしまう。仕事モードの時は流石にリビングにいてもらうようにしている。けれど勝手にくるんだろう、と不安を完全には消し去れなかった。 「あいつ、いつまで住むつもりなんだと思う?」  猫と会話するように話しかける。当然言葉のわからない猫はなにもせず横になっている俺の隣で丸くなっていた。

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