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第4話

「酒があった方がいいですよね、俺の好きな居酒屋でもいいですか?」  そう言った宮下に店員も客もやたらと元気な居酒屋に連れて来られた。店外の入口には大きな酒樽が置いてあり、日本酒専門かと思いきや店内はビールもワインも日本酒もあって何でもありのようだ。 「いらっしゃいませ! お席はテーブル、カウンター……」 「カウンターでお願いします」  元気な店員に声を掛けられ、テーブル席の方が広くて落ち着けるんじゃないかと思うが、口を挟む間もなく宮下がカウンター席を希望する。 「ハイ、お二人様カウンター席入りまーす!」 「らっしゃいませー!」  賑やかに歓迎されて奥まったカウンター席に宮下と並んで座った。 「活気ある店だな」 「ちょっと賑やかいんですけど、ここ酒屋さんがやってるので酒は何でもありで安いし美味いし、シンプルな料理もなかなかイケるんです」 「へぇ」と頷きながら少し不安になる。宮下に誘われたからデートのつもりで来たのだけど、ムードのかけらもない居酒屋で良かったんだろうか? それとも本当にただ単純に部下と上司として飲みに来ただけ? 「お通しです」そう言って出されたのは熱々の焼き枝豆。俺はビールのジョッキ、宮下は相変わらずのカルピスサワーで乾杯をする。  一番旨い一口目でジョッキの三分の一程まで飲み欲して、ぷはっと息を吐く。 「あー、旨い!」 「この枝豆も美味しいんで食べてみて下さい」  勧められてお通しの枝豆を摘まむ。殻が付いたままカラリと焼かれた枝豆は熱々で驚く程甘い。殻に多めにまぶされたピリっと辛い塩に、より一層ビールが進む。  焼き鳥、揚げ茄子、チーズ焼き……俺好みのつまみをいくつか頼んだ宮下がこちらに顔を寄せて話しかける。 「どうですか?」 「枝豆、甘いなぁ。ビールの進む味だな」 「でしょ。加藤さん好きそうだから一緒に来たかったんですよね」  間近で笑いかけられてドキリとする。……距離、近くない? ドギマギしてるのは俺だけか! この、距離感の違いが現代っ子? ……え? その言い方も古い? 仕方ない、俺は花の40代。 「ちょっ、……近くないか?」 「近いですね」  動揺する俺と反対に宮下は落ち着き払っている。少し、顔を進めたらキスしてしまいそうだった。 「近すぎない?」 「……そのためのカウンター席ですよ」  スッキリと整った顔が至近距離でにっこり笑う。顔が赤くなりそうなのを必死にこらえ、男らしいのにバサリと音がしそうな程長い睫毛に目を奪われた。 「えっと、」  気圧されて思わず後ろに引いた身体がグラリと揺れる。 「わっ、危なっ……!」  咄嗟に宮下が腕を掴んで俺を支えた。なのに、俺ときたらその手の熱さに驚いて更に態勢を崩し、今度は倒れないように引き寄せられる。  倒れそうになった椅子がカターンと音を立てる。賑やかな店内でもその音は目立って慌てて店員が近寄ってきた。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫です。よろけただけなので」  きっと平然とした笑顔で宮下は応えている。……俺は宮下に引き寄せられたまま、驚いている──振りをしたまま、大丈夫だと手を上げる。  顔が、上げられなかった。  そのまま宮下の手を振り解き「悪い、ありがと」とぶっきらぼうに応えて再び椅子に座る。  ──これは、男の矜持だとか格好良く見られたいだとか、言ってる場合じゃないんじゃないか? 「危なかったですね。……顔、赤いですよ」 「酒のせいだろ」 「そうですか? 俺は加藤さんに意識してもらって嬉しいですけど?」  平然と嘯かれる。 「……それ、恥ずかしいから」 「会社でも平然としてるし、ずっと今までと変わらない態度だったからあの告白は夢だったのかな~なんて思ってたんですけど。……加藤さんて、会社ではしっかりしてて頼れる上司って感じで格好良いのに、プライベートでは結構可愛いんですね」 「へ? 可愛いって、俺が?」 「はい。だって、……こうやって身体を近付けただけで意識してくれてますよね?」  確信犯の宮下がグイと身体を乗り出して身を寄せる。俺は平気な顔をしようとして失敗した。 「ね、可愛いです」 「40歳過ぎのオッサン捕まえて酔狂だな。……そんなこと言うのは宮下くらいだよ」 「可愛い加藤さんは俺専用ですね」 「はいはい。もうそれでいいよ。……そもそもここは居酒屋なんだから、そんなふうに惚気たり口説く場所ではないだろ」  口説くつもりならもっと他の場所もあるだろうと、恥じらいを知らない男に悔し紛れに言い放つと、宮下はニコリと笑って返した。 「いかにもな場所に連れて行ったら、加藤さんにしてやられちゃいそうだし、うるさいからくっ付いて話しててもみんな気にしないし、加藤さんも気を使わなくていいでしょう? 大丈夫ですよ。ちょっと近付いて話して、意識して欲しかっただけですから」  ……宮下の言い様に「今までの従順な部下の仮面はどこやった?」と呆れて、諦めた。 『意識して欲しかっただけ』の言葉通りに、宮下はピタリと近付くだけで無闇に触れたりすることもなく、純粋に旨い酒と料理を楽しみ居酒屋を後にする。  店を出るとアスファルトがまだ日中の熱を孕んでいて、ムワッと熱気が押し寄せた。けれど程よくほろ酔いの身体は熱く、そんなことでさえ楽しく感じる。 「加藤さん、ごちそうさまです。俺が誘ったのに全部出してもらって……」  後から追いかける宮下が礼を言った。 「いいの、いいの。俺が上司だし、親子ぐらい年上だし、こういう時は奢られとけって」  機嫌よくカカカと笑って宮下の背中を叩く。  レジ前のお会計で「俺が出す」と言うと、宮下は手にした財布をすぐに引っ込めた。小さなことだけれど、レジ前で誰が払うか攻防するのが嫌いだ。ついでに言うと部下に奢られるのも、割り勘も好きじゃない。  上司で先輩なんだから、部下のことは気分よく労って明日からまた頑張ってもらえばいい。上司の威厳を振りかざした時代錯誤と言われても、自分が上司にされて嬉しかったことは全部、部下にもしてやりたいと思う。  そんな俺の気持ちを汲んで立ててくれる宮下は、一緒にいてとても居心地が良かった。

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