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第5話
「まだちょい暑いけど、気持ちいいなぁ」
微かに涼しさを伝える風を楽しみながら歩いていると、宮下に後ろから声をかけられる。
「加藤さん、酔い覚ましに少し散歩しませんか」
「いいねぇ」
誘われ前後を入れ替えて宮下のすぐ後ろを鼻歌を歌いながら着いてゆく。時折人とすれ違う住宅地を抜け、宮下はうっそうとした神社横の道へと入って行った。
暗く人気のない道は子どもの頃のように闇雲に怖くはない。けれど、杉と松と柳の大木が風に吹かれてカサカサと音を立てる様子は、妖怪とかおばけという言葉を思い出す。
闇の向こうに灯る神社の灯りがなんとなく不気味で宮下との距離を詰めると宮下が立ち止まり振り返る。
「あの……、手、繋ぎませんか?」
暗闇に白く浮かんだ骨ばった宮下の手が差し出された。言葉で誘われると思っていなかった俺は、その少年みたいな不器用な誘いに宮下がたまらなく可愛くなり、差し出された手に手を添えた。細かく震えていた冷たい指先がぎゅっと手を握り、俺もそれに応える。
深い暗闇の脇を言葉もなくただ手を握って歩いている。徐々に温かくなる手に宮下の熱を感じて、それだけで心臓が止まるんじゃないかと思う程ドキドキした。まるで中学生に戻ったようだ。が、中学生ならこの動悸ににも耐えられるだろうけど、俺の心臓大丈夫だろうか? 止まっちゃわない?
しょうもない事を考えて、でもその実、宮下の横顔を盗み見るだけでますます動悸が激しくなって困った。
手を引かれて、長いようで短い神社脇を抜けた先はサラサラと小川が流れ込む小さな池だった。闇の中に、ぼんやりと水面と木立の影が浮かんでいる。そこで立ち止まり宮下が暗闇に目を凝らして呟いた。
「ここなんですけど、いるかな……?」
「何が……」と問いかけようとして、ふわりと舞った小さな光に「あっ」と声が出た。
小さな光は俺の声に驚いたように、ふわふわりと漂って奥へと移動し小さな木立の葉に留まる。よく見ると、木の影や草の合間に微かに和らかな光が隠れている。
「蛍?」
「そうです。良かった、まだいましたね。ここ、少しだけど蛍のいる穴場なんですよ」
「よく知ってたな、こんな所」
「祖母の家が近くなんです。子供の頃はよく遊びに来てて……」
「へぇ、すごいな。蛍なんて子供の頃以来かも。昔は家の周りの田んぼに飛んでたんだよな」
母と兄弟と手を繋いで散歩をした夏休みの夜を思い出して懐かしくなった。
子供の頃と言っても、宮下と俺ではそこに20年の乖離があるんだと思い出す。宮下の子どもの頃といえば、つまり15年位前か? その頃俺はもう社会人で今の会社で働いていた。
そんなに年の差があるのに、こんな所で手を繋いで蛍を見ているのが不思議で、奇跡みたいで愛しい。
「すげぇな、お互い子どもだったら、絶対に会えないのにな」
ポロリ、と言葉が口からこぼれた。……いや、これ、俺、雰囲気に呑まれてるな?
「……今のナシ! 俺、今なんか恥ずかしいこと言った」
自分で言っておきながら自分でつっこむ。おっさんなのにセンチメンタル過ぎて、我ながら引く!
だけど宮下は黙ったままで小恥ずかしい俺が正解だと言うように、繋いだままの手をきゅっと強く握る。気恥ずかしくて、再び心臓が飛び出そうな程高鳴った。
酒に酔っているのか雰囲気か、その両方か──。ふわふわとした現実にときめく。
──あ、これ、来る……。
そう思った時には、隣の背の高い影が近付いて唇を奪われた。一瞬触れた熱さに身構えたのに、抱き締められることもなく呆気なく唇が離れる。
もっと、と唇を追いかけようとして小さな違和感に戸惑った。
久々の恋人だとしても『キスくらい……』と思うのに、不意を突かれたこのドキドキ。自分から近付くのがやけに恥ずかしくて、タイミングが、掴めない。
──なんでだ? 宮下の方が背が高いからだろうか?
軽く手を引かれて隣に立つ宮下がツイと身を寄せ、唇の寂しさを近付く身体の熱が埋めた。触れそうで触れない、熱だけを共有する距離。自分の心臓の音を聞きながら、無意識に宮下が距離を詰めるのを待って気付いた。
──そうか、宮下に主導権を執られてるから……。
今までの恋愛では距離を詰めて行くのは俺だったのに、久々すぎて臆病になってるのか。このままじゃ男の沽券に、ゆくゆくは股間に関わる。ここで形勢逆転だ。
……っ、って、無理~~! なんだこれ、心臓壊れる!!
え? 主導権握られてるってこんな感じだっけ? 色恋から離れすぎて、俺、童貞に戻っちゃった!?
キス、どころか口から心臓が飛び出そうな動悸に息苦しくなる。しかし、でもここが男の見せどころ……!
──……!!
精一杯の勇気を振り絞って出来たのは、コテンと宮下の肩口に頭を寄せるだけ。
──俺の、ヘタレ~~っ!!
泣きたい気持ちで自分を叱咤するも、アルコールでバグった涙腺はうるうると瞳に涙を溜めて、俺はそれが流れ出ないように必死で堪える。涙で潤んだ視界はゆらゆらと揺れて、小く心許ない光が飛び交う様子を幻想的に見せている。
……全部が、夢みたいだな。儚く美しい光景をぼんやり眺めると、堪えきれなかった涙が落ちる。
「……加藤さん?」
気付かないでくれと祈ったのに、肩先の温かな雨粒に宮下が名前を呼んだ。
「へへ……、酔ってるな、俺」
身体はふわふわとするけど、自分が制御できない程じゃない。だけど、気まずさは酒のせいにして誤魔化した。
「なんか、懐かしくてな……」
「そうですか。蛍って、そういう気持ちになりますよね」
「ん……」
本当は懐かしさじゃなくて慕情だと気付いている。夢みたいに儚い光景が『今』みたいで、そっと触れたくて大切に守りたくて、簡単に壊れてしまいそうで、指一本動かせない。
「くちゅんっ」
「……?」
ふいに出た小鳥の鳴き声みたいな音に、二人ともピクリと反応した。
……指一本動かせないのに、くしゃみは出る。身体に見合わない子どもみたいな可愛い音。直そうとしたことはあるのだけど、不意に出るくしゃみに対処できるはずもなく、極力人前ではくしゃみしないように気を付けていた。よりによってこんな時に出なくても……!
いきなり披露してしまったコンプレックスのあまりの恥ずかしさにプルプルと震える。
「さ、むい……ですか?」
「……いいぞ、素直に笑えよ……」
「すみっません……、笑いたい、わけでは……ないんですけどっ……。ちょっと、不意打ち過ぎて……っ」
宮下はふるふると震えて笑いをこらえている。
良い所だけ見せたいと思うのに、主導権握られっぱなしだし、ここぞという所でやらかすし……。
「ふはっ」
宮下より先に、あまりの格好つかなさに俺が笑ってしまった。
「あはは、本当に格好つかねぇなぁ」
「っ……そういうとこ、かっわいいですけどね……ぷふっ」
まだ笑いをこらえようと悪あがきをする宮下を小突いて二人で笑う。さっきまで現実の心許なさを儚んで泣きそうだったくせに。
まあでも、この格好のつかなさが良いのかもしれない。思い通りにならなさ過ぎて今までの恋愛とは何もかもが違う。
大事に、大事にしてきたはずが手の中を通り過ぎて行った過去の恋人たち。それに比べて……、宮下相手には格好つけることすらままならない。
「……帰ろうか」
「そうですね」
小さな灯りが乱舞する様は名残惜しかったけれど、笑いの余韻が引かないうちに小さな池を後にした。こういうのは、楽しい気持ちの時に切り上げるのが一番いいのだ。
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