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第14話

 ゴオッと耳元で鳴るドライヤーの音より、自分の心臓の音がうるさい。  ……緊張、しすぎなんじゃないか、俺。  温かい風が吹き付けられ、あたたかくてサラサラした手が髪を撫でる。俺が猫ならゴロゴロ喉を鳴らしてる。そういう心地良さのはずが、同時に緊張もしてる。ふわりと手が耳を掠めればビクリと反応して「ちょっと」と手が肩に触れればフルリと震えた。  なんか……、慣れてない?  触れないようでいて触れてくる、触ってないのに意識させる。頭皮が、首が、触れたら気持ちいい場所なんだと教えられているようだ。気持ち良いのにゾワリとする。けれどそれは不快では無くて、どちらかといえば触れられないことの不快──。  ずっと俺が好きだったとか言うから、宮下は純情一途で色恋には慣れてないと勝手に思っていた。職場でのコソコソした浮かれっぷりも、子どもみたいだと思ったりしてた。  だけどこれは、認識を変える必要があるのでは? もしかして、俺はとんでもないやつを相手にしてるのでは? という気がしてきた。  自分が過去に積極的に、恋人にそういう風に触れてきたから余計にわかる。直接触れたり言葉で煽ったり、そういうことをせずに相手に自分をそういう意味で意識させるその手管は絶妙だ。  緊張と安心。どっちも満たすのは、意外と難しい。 「はい、終わりました。サラサラになりましたよ」  ドライヤーを置いてふわっと頭を撫でる手につられて、自分でも髪の触り心地を確認する。 「お? ほんとだ、いつもよりサラサラな気がする。何かやった?」 「普通ですよ、見てたでしょう。意外と自分で上手く乾かすって難しいんですよね」 「そうなんだな、ありがとう」 「いえいえ。一度こういうのやってみたかったんですよね。お礼はこれで」  後ろから両肩に手を置かれて振りむこうとした所で、チュッと唇が頬に触れた。  ……キ…ザなことすんな!? 一瞬、心臓が止まったぞ?  いや、自分でも過去にそういうことはしてきたけれど……、その威力を身を持って知ることになるとは思いもしなかった。  こういう時って、やっぱり、された方は止まるんだな。そして思った以上の破壊力。柔らかな唇が頬に触れて、一気に心臓の音と頬の熱を意識した。恥ずかしさのあまり動きがぎくしゃくする。 「……」  恥ずかしさに黙った俺を見て宮下が笑った気配がする。余裕のある感じがむかつく。 「なんか、飲む? って言っても、水か、茶か、コーヒーか……そんなんしかないけど」  そんなのいいからイチャイチャしたい! とオーラを発する宮下に気付かない振りで立ち上がる。コップに冷えたお茶を入れて戻ると、ご主人を待ちかまえる犬みたいな顔で宮下が待ちかまえていた。  コトリとテーブルにお茶を置き、宮下から少し離れたベッドに腰掛けて窓を開け煙草に火をつける。とにかく少し落ち着きたい。ゆっくりと慣れた香りの煙を吸い込むと、じわりと安心が広がるような気がする。甘く苦い香りの煙を全身に行き渡らせてから、ゆっくりと深くため息をつくようにその煙を吐き出した。  ようやく『いつもの朝』のような気がする。何十年も続けるうち、いつの間にか相棒のように煙草の煙が日常に染み込んでいた。 「旨そうに吸いますね」 「そうか? まぁ、旨いってんでもないけど……これが無いと一日は始まらねぇな」 「そんなもんですか?」 「そんなもんだな。宮下は吸ったこと無いのか?」 「ありますけど、煙くて……」  宮下の渋い顔にハハッと笑う。 「だよなぁ。最初は何がいいか分かんなかったよな。なのにいつの間にか旨いと思って、止められなくなってたんだよなぁ。悪いな、一本分だけ待って」 「平気ですから、ゆっくり吸ってください。煙草吸ってる姿は好きなんで」  ニコリと言われて妙に熱っぽい眼で見つめられる。途端に見られていることを意識した。 「……やりづらい」 「いつも見てますよ。今更気にしなくていいのに……。じゃ、あれ出来ますか? 煙を輪っかにするの」  ワクワクと聞かれて「出来るよ」と披露する。すごいすごいと子供みたいにはしゃいだ手放しの賞賛が恥ずかしくて煙草の火を消した。時折見せる子供っぽさが、かわいいんだよなぁ。 「煙草の味は嫌い?」  キスがしたくなって聞いた。 「いえ、」  全部言い終わる前に、座ったままの宮下の顔を捉えて覆い被さるみたいにキスをした。間近に見る宮下の顔が驚いて、それから柔らかく受け入れる。  嫌じゃないかな?  様子を探って、触れたくちびるの隙間からそっと舌を忍び込ませる。 「ん……」と吐息でのどを鳴らしてされるがままの舌に、舌を絡めて残り香を共有する。  少しだけ、と思ったのに止まらない……。  口腔を犯したいというオスの衝動が湧き上がる。グッと顔を抑えつけて、深くくちびるを合わせた。  舌を吸い強く絡めると、宮下の長い腕に首の後ろを抱いて引き寄せられた。『応戦』と言う言葉がふさわしい、されるがままでないキスを宮下が仕掛ける。奥まで舌を差し込まれて「ぅっ」とのどが鳴った。ぐるりと絡めてから舌を添わせて柔らかく撫でる。互いの舌が攻防を繰り広げた。  宮下の快感を引きずり出すそれは成功したけれど、その分自分もクラクラとしてくちびるを離す。快感を貪りすぎた宮下の口端からよだれが垂れていて、それをペロリとなめてから無造作な手が拭うのをぼんやりと見ていた。なんでもないそれだけの仕草が色っぽい。  宮下の色白な頬は上気して目元からピンクに染まっていた。うるんだ瞳に間近で見詰められてドキリとする。  宮下が少し目を伏せると、長い睫毛が瞳に影を落とした。 「煙草、苦い……。加藤さんの味、大人って感じします」  ポソリと可愛いことを呟いて、それから正面から宮下は俺の視線を受け止めた。  その『負けませんよ』とでも言っているような視線は、強気で、勝ち気で、可愛らしくて。  ……言えないけど、正直、俺が負けそうです。

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