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第70話
恐るおそる発した言葉に、コクコクと頷かれてホッとしたのと同時にちょっと驚く。なんていうか、本当に?っていう、それに。
「ほんとに?」
それは心の中だけじゃなくて、ぽろりと口から転げ出る。
「か、梗平さんも考えていてくれたんですか」
「まあ俺は……」
たぶんこの先宮下以外と付き合うことはないだろうし、宮下と別れたら今度こそきっと死ぬまで一人だと思う。というのはちょっと重いかな、と思って黙っておく。
だから、例え付き合った期間が短かったとしても、一緒に暮らすのも、そのまま一生をと考えて状況を変えるのもためらうことなんか何もなくて。
「いいのか、本当に? まだ半年しか付き合ってないし……」
「えっ? 半年も付き合いましたよね? その前から合わせたらもうすぐ四年だし」
「……一緒に暮らすのに、付き合って半年って短くないか?」
「そうですか? 半年も付き合ってたら同棲って普通だと思いますけど」
当たり前って感じに言われて、ちょっと面食らう。というか、交際期間半年って『半年も』か? 半年しか、じゃないのか?
「んー……、逆に聞きますけど、梗平さんはどれくらい付き合ったらOKだと思ってます?」
「具体的には考えたことなかったけど、そうだな……、一年か二年くらいはあった方がいいんじゃないか」
「えっ!? 長くないですか?」
心底驚いたように言われて、俺の方が驚いてしまう。普通は付き合って結婚してとなったら、二、三年は必要じゃないだろうか。……って、俺はいきなり結婚するつもりなのか!? 思わず自分に突っ込んで、赤くなった顔を宮下の太ももに押し付けて隠した。
「まあ、お互いを知るって意味で。ほら一般的に……」
「なんかそれ……、結婚みたいですね」
ごにょごにょとした言い訳に、心の中を言い当てる返事を返されて、思わず宮下のスゥエットのズボンをぎゅっとつかんだ。かぁっと頬どころかあたま全部に血が上るのがわかる。
「あ…れ? もしかして、そういうつもりで言ってくれてました?」
少し動揺した宮下の声に、宮下はそういう意図ではなかったと気付く。
いや、俺もそんなに結婚とかみたいな、法律上ではまだそういうことはできないわけで、俺が死ぬまでに結婚できるようになるかどうかもわからないのだけど。だけど気持ちっていうか、覚悟みたいなものの話で。
考えてみれば、宮下にとってはまだまだ結婚なんて早い年だし、そんな重く受け取らないのが当たり前なのに、俺一人で浮かれて……。
恥ずかしすぎて今すぐ隠れたくなる。
こんなのさすがに重いとか面倒くさいとか思われていそうで顔が上げられない。
「……そう、なんですね。そうなんだ……。なんか俺、自分で思っているより、梗平さんに愛されてます?」
噛み締めるみたいに言ってそう聞かれる。
「そりゃ、まあそれなりっていうか……。そりゃあな……」
ここで愛してるに決まっているだろ、とか言えればいいんだけど……。葛藤して、口を『あ』の形にするけれど、……いや、無理だろ!
「……いつも、言ってるじゃねぇか」
結局小さな声でごまかした。
セックスの最中には言えても、何でもない時には言えないって!
そう自己嫌悪に陥る俺の髪を宮下の手が撫でる。それから両手で掴んで、犬を可愛がるみたいに頭をぐちゃぐちゃにした。
「ですよね。梗平さん、いつもシてる最中はスキとかいっぱい言ってくれますもんね」
「……~!! だから、そう言うの、」
「恥ずかしくてそういう時しか言えないんですよね?」
好きなだけ俺の頭をわしゃわしゃとして、それから宮下は背中を屈めて顔を近付けた。それから内緒話をするみたいに言う。
「……『愛してる』とか」
昨日のことをほじくり返されて、これ以上はないだろって思っていたのに、まだ恥ずかしさに赤くなる。何だよ、これは。俺で遊ぶんじゃねーよ、と思いながらそれでも条件反射みたいなこの反応はどうしようもない。
真っ赤になったまま、宮下のズボンにすがりついて蚊が鳴くような声で「も、やめろって……」と止めさせる。
「わかってます?」
「……何が?」
「嬉しいんですよ」
それに可愛いし、と付け加えて頭に触れていた手で、俺の顔を起こさせる。そこには思いがけず真剣な、けれどニヤニヤ笑いが止まらないみたいな奇妙な表情の宮下がいて。本当に嬉しいみたいなそれに、こっちまで笑ってしまいそうになる。
思わず反らそうとした顔はがっしりと掴まれて、そのまま宮下の顔が近付いて、ちゅ、と唇をぬらす。
キスなんてどうってことないはずなんだけど、さっきまで口でしていた名残か、やたらと唇は敏感になっていて。
ふわり、と触れただけなのにぞわぞわっとして、そのまま唇をやわらかく唇で挟まれて、足の裏までぴりぴりとした痺れが走る。それから、ぺろりと、一度だけ唇を舐めて唇が離れる。
ベッドの縁に腰かけた宮下に引き上げられて、そのまま抱き合った。中腰の無理な体勢を気遣ってか、まだ寝床の穴をあけたままの掛布団にそのままぱたりと倒れ込んで、抱き締められる。
宮下にくるまれて、それから布団の中にこもった宮下の匂いにくるまれた。
くくく、と宮下が笑う振動が直接伝わる。
「なに?」
「せっかくカッコつけてキスしたのに、梗平さんの唇、オレのの味してるし」
「あっ、ごめん」
「いやいいんです。それで、さっきしてくれてたからって思ったら、それも愛だなーって、そしたらなんかうわってきて……。自分の味でも愛を感じちゃうとかおかしくて」
時おり、くくく、と笑いながら宮下が話す。
キスで自分の精液の味を感じるなんて、その最中なら興奮を促すスパイスになるかもしれないけれど。どんな顔をしたらいいのか分からなくて大人しく抱きしめられている。
ひとしきり笑った後、宮下がそっと話し出した。
「俺、ただ一緒に暮らせたら楽しいなって、なんか軽い感じで思ってて……」
「だよな、ごめん」
「いえ、あやまるの俺ですから。っていっても、嫌だって言うんじゃなくて、本当にすごい嬉しくて……。
俺ね、こんなに長く誰かのことずっと好きなの、初めてなんです。三年も一方的に好きなままでいるとか思わなかったし、付き合うのだって、半年とか初めてだし。
会社に入る前はずっと学生で、三年ていったら入学して卒業しちゃうみたいな、とんでもなく長い期間だと思ってたんです。
でも、加藤さんのこと好きになって必死で仕事してたら三年なんてあっと言う間で、しかも加藤さんから好きだって言ってもらってからの半年なんて、飽きる間もないっていうか……」
ゆっくりと話す宮下の声を、身体からひびく音で聞くと、息づかいだけじゃなく、話の内容を考えてためらうのまで全部聞こえる気がして、うん、とあいづちをうつ。
「友達と学校で一緒なことはあっても、加藤さんみたいにこんなに誰か一人とずっと一緒にいるのも初めてだし、付き合った人と朝まで一緒にいたのも初めてだし、それでもまだずっと一緒にいたいって思うのも初めてで。今がこのままずっと続けばいいな、って思ってて……」
「うん」
「なんていうか、男同士だから深く考えてなかったとかじゃなくて、ただずっと一緒にいられればいいなっていう、そんな感じで……」
「うん、大丈夫。わかるから」
宮下の話を聞きながら、昔のことを思い出した。
俺はゲイだって自覚があったから、結婚には一生縁はないだろうけど、一生を誰かと過ごせたらいいなと漠然とした憧れだけはあった頃。誰かと付き合っては別れたり、付き合っているのかどうかもあいまいな関係ばかりを続けていた頃。
壮大と出会って、流れでなんとなく付き合うみたいになって、なんとなく馬も合うし、こいつとならずっと一緒にいられるんじゃないかと思って。
あの時、一緒に暮らそうって言った言葉は、今思うみたいな『重さ』はなかったのかも知れない。
もっと純粋に、ただ一緒にいたいと思う、それだけだったかも知れない。
だから宮下の言葉は純粋にもっと一緒にいたいと言ってくれていて──。
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